身近で起きた火事の恐怖
2005/04/11
午後3時過ぎだったろうか。
突然、ドアが開き、誰かが叫んでいる。 「火事だ、火事だ! 逃げろ、逃げろ!」 1階のラボラトリに居た同僚とOJTの学生は何が何だか分からない。 10秒ほど、固まる。 「隣の集落で火事があり、火がもうすぐそこまで来ている。」 状況が把握でき、外に出てみると、もの凄い光景を目の当たりにした。 本当に至近距離ですごい炎と黒い煙があがっており、顔が熱い。火の粉も飛んでいる。慌てて、バッグに財布と携帯を入れ、OJTの学生に急げと怒鳴り、外に避難。すると、外の道は避難している住民や野次馬で溢れ返っており、スタッフ達もパニックになっている。 「消防車はいつ来るんだ!」と怒号が飛び交う。 かなり火は広がっているようで、オフィスの隣にある集落からもう本当にその場にあったモノを持って逃げて来て、自分たちの家が焼けるのをなす術もなく眺めながら、祈る人々・泣きじゃくる人々。 これは、とんでもないことになったな、と思った。 そもそもフィリピンには家と家、建物と建物の間にはほとんど隙間などないので、燃え移り易い。しかも、コンクリートを使った建物があまりないので、火の移りが速い。日本ならどの家庭にでもある消火器なんてあるわけない。よくよく考えてみたら、うちのオフィスにだって非常口とか消火器なんて用意されていない。 このままいくと、オフィスも焼ける。 敷地内には3つの建物があるが、どれも隣接している。 周りはパニック状態なのに、不思議に冷静な自分がいた。 もし、このままオフィスが全焼したら、同僚達はどうなるんだろうか。そして、自分はどうなってしまうんだろうかと考えていた。活動ができなくなるから、このまま帰国せざるを得ないのか。昨日、フィリピン渡航から満1年を迎えたのに...。 すると、配属先のスタッフやボスが泣きながら、パソコンや書類を運んでいるではないか。そうだ、諦める前に行動だ!このまま全ての財産が焼けてしまったら、それこそ立ち直れない。同僚と相談し、まずは我々の“命”である、サーバ室のサーバを10台持ち出すことにした。 もう、修羅場である。 火の粉が飛び交い、煙に巻かれる中、男5人でサーバ室に入り、ケーブルやコードをぶった切る勢いで全て抜き、運ぶ。このまま突風で隣の建物から火がまわって来たら、死ぬかもしれないとも思った。それでも、とにかく無我夢中だった。サーバを運び、各スタッフのPCを運び、プリンターを運び、書類を袋に詰めて運んだ。1台のパソコンがフィリピンではどれだけ高価なモノか知っている。さらに、この中に入っているデータこそ、同僚達が築き上げてきた財産なのだ。 20分程かかり何とか重要なモノは全て運び終わった。オフィスの前にはデスクトップ型のPCが30台と、色々な書類が並んでいる。そして、これ以上は建物に入るなと消防士に制止された。 次第に黒い煙が白に変わって来るのが分かった。 皆の表情が安堵に変わる。 最悪の事態は免れそうだ。 結局、6時前に鎮火した。 ギリギリのところで、オフィスには被害はなかったようだ。 ただ、すぐ隣では、かなりの家が焼け落ちた。 家を失った人達が途方に暮れている。 オフィスからの帰り道によく挨拶してくれる人や、たまに昼食を食べに行くカンティーン(食堂)のおばちゃんもいる。オフィスによく出入りしている家族は、身に付けている服しか残ってないという。家を失ったら、何も残らないと言っていたのが心に響いた。ここの集落は、貧困層ではないもののフィリピンでは平均的な貧しい部類に入る。当然、この層のフィリピン人は、保険なんて掛けているはずがない。本当に何もないのだ。残る手段は人を頼るしかない。 この近所に住む家族の父親が、 「どうせ財産なんてないんだから平気だけど、家がないと寝るところもない。服1枚すら買えない。もし、要らない服があったら持ってきてくれないか。」 と、我々スタッフにお願いしてきた。 服なら明日持って行く。 何かできることならする。 幸いなことに、怪我人や死亡者が出たという話を今のところ聞いていない。 実際の被害は明日の報道を見てみたいと分からないが、それが不幸中の幸いだ。 |