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協力隊の小史


 1964年、池田首相(当時)は施政方針演説で「技術を身に付けた我が国の青少年を、 東南アジアなどの新興国に派遣し、相手国の青年と労働を共にしつつ、お互いの理解と 友好を深めることは重要なことと考えその準備を進めている」(要旨)旨のべ、翌1965 年には佐藤首相(当時)が「我が国はアジア諸国民との接触を密にし、相互の理解の増 進に努めねばならない。−(中略)−なお、工業、農業等の技術を身に付けた青少年の 派遣準備を進める。」と同じく施政方針演説で明言しました。これを受けて、同年4月、 海外技術協力事業団内に日本青年海外協力隊準備事務局が7287万円の予算で創設されま した。

 最初の隊員選考試験は1965年に実施され、10月から訓練開始、12月にラオスへ5名、カ ンボディア4名、マレーシア5名、フィリピン12名、合計26名の1次隊が出発しました。

 1968年には東京都渋谷区広尾に新庁舎・訓練所が完成し、以降協力隊の中心地となり ました。1975年には隊員を主人公とした劇映画「アサンテ・サーナ」が完成、全国で自 主上映され、その組織を中心として1976年に協力隊を育てる会が発足しました。1979年 には長野県駒ヶ根市に二番目の訓練所が、1995年には福島県二本松市に三番目の訓練所 が開設されました。

 1985年には協力隊発足20周年を記念して皇太子殿下・同妃殿下をお迎えし、また1995 年には発足30周年を記念して天皇・皇后両陛下をお迎えし、大勢のOB/OGと共に盛大な式 典を催しました。1990年には派遣隊員数累計が1万人を超え、2003年12月31日現在におけ る他県隊員数累計は2万5千人を超えています。


--- 以上、JICA文献より引用 ---


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