携帯のない生活1
2006/07/11
帰国してから3ヶ月、携帯電話を持たない生活を続けている。
任期を終えてフィリピンから帰国する際に、密かに考えていることがあった。 それは、「日本で携帯電話を持たずにどのくらい暮らしていけるか」。 最初は一ヶ月を目標にしていた。 が、携帯電話を持たないでいても、何とかなるものである。 一度持ってしまったら、手放せないことは自分でも分かっている。 だからこそ、「携帯電話を持ちたい!」と思うまで、持たないことにした。 そうこうしているうちに3ヶ月が経過。 このまま携帯電話がないまま生活を続けられるんじゃないか、と思うようになっている。 日本を離れる前、大学時代から合計約8年間携帯電話を使用しており、まさに「携帯電話なしでは生活できない」状況に陥っていた。携帯電話に依存していたほどでもなかったが、携帯電話なしの生活が想像できなかったのも事実だ。 フィリピンに渡る前日に携帯電話を解約し、そのままだ。 フィリピンでは、JICAから現地の携帯電話(NOKIA製)を支給はされていたが、日本の携帯電話を手放したことで、一度そこから遠ざかったことになる。もちろん、携帯電話だけで繋がっていた人間関係はそこで切れた。 今は、何となく必要性を感じない。 仕事でも携帯電話は別に使わないし、外出時に呼び出されたくもない。 カメラが付いて、音楽が聴けて、テレビが見れる、という謳い文句にも魅力を感じない。 友人や何かの問い合わせで「携帯の番号教えてください」と言われ、「携帯電話は持っていない」と言うと、“お前は人間か?”というような顔で見られる。さらには、“嘘を言っているんだろう”という怪訝な顔をされる。確かに、周りを見ると携帯電話を持っていない人を見付けるほうが大変だろう。 でも、別に持ってなくてもいいじゃないか。 こういう反応があると、携帯電話を持たない気持ちに拍車がかかる。 よく、「携帯電話がないと待ち合わせができないでしょ」と言われる。 そんなことはない。 この状況下で、3ヶ月間、きちんと人と待ち合わせ出来ているのだから。 友人と待ち合わせをする時、 「夜7時頃に、恵比寿駅ね」 といった感じで言われることが多い。 おそらく、現代人はこうやって人と待ち合わせをしているんだろう。 “7時頃”って曖昧で誤差があるし、“恵比寿駅”だけで待ち合わせできるわけがない。そして、多少待ち合わせに遅れても「ちょっと遅れる、ゴメン」と携帯電話からメールを送信すればいいと思っているから、平気で遅刻する。 便利と言えば便利だが、適当と言えば適当だ。 便利さが人間を怠惰にしている? そもそも、人は怠けるために、便利さを追求し、研究や開発を続けるのか。 携帯電話がないと、「7時ぴったりに、恵比寿駅西口改札前ね」となる。 自分へ連絡を取る手段がないから、相手は遅刻することが出来ない。 ちなみに、こっちが遅れる場合は公衆電話から電話ができたりする。とは言え、昨今、公衆電話を見付けるのも一苦労で、探している時だけは正直「携帯電話があったらいい」、とは思う。 でも、そんな機会はそうないので、別に問題ない。 待ち合わせをしている相手には少し悪い気がするが・・・(別に嫌がらせではない)。 こういう場合、相手は「携帯電話のない者と待ち合わせなんて、できるのだろうか」と思うらしい。 でも、そういう時、相手も携帯電話に依存し過ぎていることに気付くと言う。 続く… |