2012/03/11
2011年3月11日の東日本大震災から今日でちょうど1年。

歴史に残る東日本大震災、観測史上最大のマグニチュード9.0の大地震、それにより引き起こされた大津波、福島第一原子力発電所事故を発端とした電力問題、様々な大惨事が一挙に起きた、あの日。あれから、1年が経過した。


震源地とは離れた関東エリアでも、帰宅難民や計画停電という異常事態が発生し、この日を境に日本人の意識と生活が激変した。そんな中で、自分として何か出来ればという思いと、でも何をすればいいのだろうかという思いが入り混じり、結局は募金という形で支援をすることに至った。これが正しい選択だったかは、正直分からない。


あの日、あの時が、つい最近のように思えたりする。

地震のあった瞬間、職場のビル32階という高層階に居た。
折れるのではないか思うくらいビルが横に大きく揺れ始め、机上のデスクトップPCが次々と倒れ落ち、キャスター付きの椅子が至る所に散乱していった。免震構造の高層ビルは、揺れを吸収しなが徐々に抑えていくため、地上32階だと余震も含め揺れが3時間近く続いた。常に船酔い状態で、気分が悪くなる人が続出。かつ、エレベーターが完全ストップしたため、食料の買い出しを含めて32階から1階まで1往復半することになった。そして、電車が動き出し、待機命令が解除されて会社を出ることが出来たのが、日付が変わる時間帯で、深夜2時頃に帰宅した。


時間の経過と共に凄惨な被災地の状況が明らかになってきたが、それで翌日はまだ情報が乏しく、土日は普通に過ごそうとしていた。それが、いざ買い物に出てみると、食材や生活用品がスーパーやコンビニの棚から消え失せ、幹線道路にはガソリンを求める車の長蛇の列…。さらに、翌週の深刻な電力不足のため、政府が計画停電を発表…。何もかもが想定外のことで、何をどうしたらいいか分からない、そんなパニックに近い状況だったと記憶している。


最近のニュースによると、東京直下型の震度7クラスの地震が近いうちに来る可能性もあると言う。それを受け、ようやく重い腰を上げ、今日3月11日すべての本棚・食器棚・液晶テレビの耐震対応を行った。

あれから1年。
まだ被災地は大変な状況だと思う。
家族や友人を亡くした方の悲しさは計り知れない。

東北地方の一刻も早い復興をお祈りします。
そして、この大震災を日本人として決して忘れてはいけない。

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| つれづれ | 2012/03/11 11:59 PM | comments (0) | trackback (0) |
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