火事その後
2005/04/12
両腕が激しく筋肉痛。
昨日、デスクトップ型PCを両腕に抱えて、何度も運んだからなぁ。 昨日オフィスのすぐ隣で起きた火事については、死亡者はいなかったとのこと。逃げるときに転倒した女性が怪我したり、勇敢にも火消しをしようとした男が軽い火傷をおったらしい。本当によかった。 原因は、これも同僚から聞いた話ではあるが、ある家の中で料理中に(多分、バーベキューの肉を焼いていた)何らかの拍子で近くのガソリンに引火したらしい。 現場は幹線道路から路地を少し入ったところだから、道からはあまり被害の状況は分からない。何となく、興味本位で現場を見るのは気がひけるのでやめておいた。ただ、通りから路地をうかがうと、まだ白い煙と炭の焼け焦げた臭いが辺りに充満してた。一時は、あれだけ炎が上がっていたんだから、当然なのかな。 今日は、PCの設置と動作確認で終わった。 昨日、全てのPCに繋がっているケーブルやコードを抜いて運び、その運び方も乱雑だったため(そりゃ当たり前)、元の位置に戻し、ケーブル類を繋げる作業。案の上、マウスやキーボードのケーブル、そしてLANケーブルは幾つかが破損。PCがブートしなかったり、ハードディスクを認識しないなんてのもあった。 それでも、致命的な故障が一つもなかったのは、驚くべきこと。 重要なデータのバックアップは取っているのだが、それも同じサーバ室に保管してある。今回にような火事がまたいつ起きるか分からないので、バックアップデータは物理的に離して管理する必要もありそうだ。 日本では当たり前のリスク管理、これを機に意識してもらえるだろう。 |
身近で起きた火事の恐怖
2005/04/11
午後3時過ぎだったろうか。
突然、ドアが開き、誰かが叫んでいる。 「火事だ、火事だ! 逃げろ、逃げろ!」 1階のラボラトリに居た同僚とOJTの学生は何が何だか分からない。 10秒ほど、固まる。 「隣の集落で火事があり、火がもうすぐそこまで来ている。」 状況が把握でき、外に出てみると、もの凄い光景を目の当たりにした。 本当に至近距離ですごい炎と黒い煙があがっており、顔が熱い。火の粉も飛んでいる。慌てて、バッグに財布と携帯を入れ、OJTの学生に急げと怒鳴り、外に避難。すると、外の道は避難している住民や野次馬で溢れ返っており、スタッフ達もパニックになっている。 「消防車はいつ来るんだ!」と怒号が飛び交う。 かなり火は広がっているようで、オフィスの隣にある集落からもう本当にその場にあったモノを持って逃げて来て、自分たちの家が焼けるのをなす術もなく眺めながら、祈る人々・泣きじゃくる人々。 これは、とんでもないことになったな、と思った。 そもそもフィリピンには家と家、建物と建物の間にはほとんど隙間などないので、燃え移り易い。しかも、コンクリートを使った建物があまりないので、火の移りが速い。日本ならどの家庭にでもある消火器なんてあるわけない。よくよく考えてみたら、うちのオフィスにだって非常口とか消火器なんて用意されていない。 このままいくと、オフィスも焼ける。 敷地内には3つの建物があるが、どれも隣接している。 周りはパニック状態なのに、不思議に冷静な自分がいた。 もし、このままオフィスが全焼したら、同僚達はどうなるんだろうか。そして、自分はどうなってしまうんだろうかと考えていた。活動ができなくなるから、このまま帰国せざるを得ないのか。昨日、フィリピン渡航から満1年を迎えたのに...。 すると、配属先のスタッフやボスが泣きながら、パソコンや書類を運んでいるではないか。そうだ、諦める前に行動だ!このまま全ての財産が焼けてしまったら、それこそ立ち直れない。同僚と相談し、まずは我々の“命”である、サーバ室のサーバを10台持ち出すことにした。 もう、修羅場である。 火の粉が飛び交い、煙に巻かれる中、男5人でサーバ室に入り、ケーブルやコードをぶった切る勢いで全て抜き、運ぶ。このまま突風で隣の建物から火がまわって来たら、死ぬかもしれないとも思った。それでも、とにかく無我夢中だった。サーバを運び、各スタッフのPCを運び、プリンターを運び、書類を袋に詰めて運んだ。1台のパソコンがフィリピンではどれだけ高価なモノか知っている。さらに、この中に入っているデータこそ、同僚達が築き上げてきた財産なのだ。 20分程かかり何とか重要なモノは全て運び終わった。オフィスの前にはデスクトップ型のPCが30台と、色々な書類が並んでいる。そして、これ以上は建物に入るなと消防士に制止された。 次第に黒い煙が白に変わって来るのが分かった。 皆の表情が安堵に変わる。 最悪の事態は免れそうだ。 結局、6時前に鎮火した。 ギリギリのところで、オフィスには被害はなかったようだ。 ただ、すぐ隣では、かなりの家が焼け落ちた。 家を失った人達が途方に暮れている。 オフィスからの帰り道によく挨拶してくれる人や、たまに昼食を食べに行くカンティーン(食堂)のおばちゃんもいる。オフィスによく出入りしている家族は、身に付けている服しか残ってないという。家を失ったら、何も残らないと言っていたのが心に響いた。ここの集落は、貧困層ではないもののフィリピンでは平均的な貧しい部類に入る。当然、この層のフィリピン人は、保険なんて掛けているはずがない。本当に何もないのだ。残る手段は人を頼るしかない。 この近所に住む家族の父親が、 「どうせ財産なんてないんだから平気だけど、家がないと寝るところもない。服1枚すら買えない。もし、要らない服があったら持ってきてくれないか。」 と、我々スタッフにお願いしてきた。 服なら明日持って行く。 何かできることならする。 幸いなことに、怪我人や死亡者が出たという話を今のところ聞いていない。 実際の被害は明日の報道を見てみたいと分からないが、それが不幸中の幸いだ。 |
フィリピン渡航より一年
2005/04/10
4月10日。
去年の今日、成田を出発し、マニラに到着した。 日本を出国し、フィリピンに渡航してちょうど1年が経った。 箱崎のT-CATに朝5:30に集合し、9:40のJAL便でマニラに到着した。成田からわずか5時間飛んだだけで、雰囲気が一変、別世界だった。桜満開の日本から、真夏の南国に本当に来てしまったと不思議な感じがしていた。期待・楽しみ・希望・不安、様々な感情が入り混ざっていた気がする。その日の日記では、こんなふうに綴っている。 1年が経過。 普通にいけば任期は残り1年。 フィリピンでの生活の半分が経ったことになる。 この1年間を振り返ることはしないが、やっぱり2年間という期間はあっという間だと思う。先輩隊員が自身の活動が軌道に乗り始めたのは1年半経った頃で、気付いたらもう帰国半年前になっていたと言っていた。これからと言うときに帰国を迎えるらしい。確かに自分もそうなりそうな気がしないでもない。それでも、隊員によってそれぞれ意見はあるだろうけれど、2年間という任期はちょうどいいのもしれない。制度上の問題であって誰が決めたのかは知らないが、青年海外協力隊という国際協力プログラムが40年間も続いている所を見ると、適切なのだろう。 ドラマ「ビーチボーイズ」にこんな台詞がある。 水泳はさ、折り返してからが勝負なんだよね、これからでしょ。その時“体験している夏”や“人生”を水泳に置き換えて表現した広海(反町隆史)の台詞。とても共感できる。何故だか知らないけれど、この言葉が頭に刻み込まれている。 任期の折り返し。 活動の折り返し。 フィリピンでの生活の折り返し。 「折り返してからが勝負」 「これからでしょ」 さて、JICAへ提出する「第3号隊員報告書」の期限が今日である。 まだ、ほとんど書いてない。後回しにしていて、気付いたら期限が来ていた。それでも、何の焦りも感じない自分がいる…半年前の報告書の時は少なからず焦っていたはずだ(その時も5日ほど提出が遅れた)。フィリピン社会にどっぷり浸かっていると、期限なんて設定しても守らないので、設定することすらあまり考えなくなってしう。いつも、「ヒナーイ・ヒナーイ ラン!(ゆっくりいこうよ!)」という環境の中で、徐々にフィリピン人化(退化?)しているのだろうか。 まぁ、今月中には提出しますよ。 もう、日本社会不適合者です...。 |
賑やかな場所へ
2005/04/08
政府機関は週休3日制が開始される。
今日から新しいOJTが2名追加された。 二人ともサン・カルロス大学の優秀な女子大生。 先日と全く同じで、学生が来るまではこちらには知らされない。研修を行うこっちの都合なんて、何も考えてくれていない。もう、今回は何も言わなかった。言っても無駄だと諦めることにした...。 夜は同僚3人と呑みに行った。 同僚と呑むのは久しぶりだな。 金曜の夜に何も予定がないと昼間に話していたので、急遽呑みに行くことになった。同じ世代(と言っても皆、自分より年下)の同僚達、「ララキ(男性の意)ばかりじゃん、ババエ(女性の意)はいないのかよ、グワパ(可愛いの意)と呑みたいよ」なんて言う。日本と同じだ。 7:30頃からAyalaで食事をし、1杯呑む。 腹が満たされたところで、Villageへ移動。 ここは複数のレストランやバーが集まっている所で、雰囲気が良い。 ここでも2軒はしごする。 2軒目はミュージック・バー。つまり、ディスコ。最初の1時間半はライブバンドがステージにいて、客にリクエストを求めたりして歌を歌っていた。すると、突然、ディスコミュージックがかかり、今まで呑んでいた客が席を去りステージ周辺で踊り出すではないか。 本当に賑やかだった。 結局、3時まで呑んでいた。 まだまだ、他のフィリピン人が踊りまくっている中、我々は眠くなったので帰ることにした。 |
週休3日ならず
2005/04/07
先週、週休3日制の導入というエントリでも書いたが、今週から2ヶ月間、フィリピンの政府機関で週休3日制が始まる。
配属先もその対象に入るかもしれないという淡い期待があったのだが、それが簡単に打ち崩された。3連休でちょっと旅行にでも行こうかとか考えていたのに、早合点だったようだ。 理由は、配属先が、一応NGOと名乗っているため今回の導入の対象とはならない。「NonGovernmental Organization:非政府組織」という言葉の通り、当たり前と言えば当たり前なんだけれど...。 なぜ、“一応NGO”という書き方をしたかというと、実際はDOST(Department of Science & Technology:科学技術省)配下の組織なのである。政府機関配下の組織なのに、非政府組織・・・まったく意味が分からない。NGOと言うと、聞こえが良いから、組織の分類を登録する時にNGOを名乗るという話もある(真実は定かではないが)。 ということで、週休3日はなくなりました。 でも、隣の建物のDOSTのスタッフは週休3日らしい。 |