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2004年11月の日記

2004年11月30日(Tue)
プロジェクトの指南
2004年11月27日(Sat)
大都会から戻る
2004年11月22日(Mon)
明日からマニラ
2004年11月21日(Sun)
フィエスタで6食
2004年11月20日(Sat)
ご招待され
2004年11月18日(Thu)
呼び出され
2004年11月17日(Wed)
原因は線路盗難?
2004年11月14日(Sun)
のんびりゆったり
2004年11月13日(Sat)
どこへ行こうか
2004年11月12日(Fri)
講義中のハプニング
2004年11月11日(Thu)
今日は何の日?
2004年11月10日(Wed)
日本人ダイバー死亡事故
2004年11月7日(Sun)
SMへ捜し物
2004年11月5日(Fri)
長期研修キャンセル
2004年11月3日(Wed)
心機一転
2004年11月1日(Mon)
All Saints Day
プロジェクトの指南
昨日は祝日。
隊員総会明けが3連休で久々の出勤。

出社と同時に呼ばれて、突然「これから2つのプロジェクトを進めるからプロジェクト・リーダーよろしく。期限はクリスマス前ね。時間ないからOJTの生徒を使っていいよ。」なんて言われた。

どうして、また突然?
最近、暇そうにしていたのが分かったのかな。
まぁ、暇よりは何かをやった方がいいので、大歓迎。しかも、プロジェクト・リーダーなんて身が引き締まる思いだ。1つは「某省庁のウェブサイトの構築」、もう1つは「あるNGOのホスティング事業のサポート」。今日一日、どうやって進めていこうか悩んだり相談したりした。一人でやったらもちろん早くできるだろうけど、マネジメントの立場になりプロジェクトには直接足を突っ込まないことにした。OJTの学生を中心に同僚にタスクを割り振って、分からないことがあれば指南していこうと思う。幸い、言われたことはきちんとやる学生達なので、指示さえ間違わなければ期限は守れると思う。

こういった仕事やってみたかった。。
日本にいた頃は、まだまだ下っ端で年中使われる方だから、こんな機会を楽しみながら遂行していこうと思う。
2004年11月30日(Tue)  No.127

大都会から戻る
5日間のマニラ滞在からセブに戻ってきた。
7月に続き、今年2回目の隊員総会。

ここぞとばかりに美味しいモノ、特に日本食を食べまくって、かなりの金を消費した気がする。やっぱりマニラは物価が違うと感じた。初日は昼に吉野屋で牛丼を食べ、夜は「LITTLE TOKYO」でお好み焼きを食べた。その後も、ラーメン屋・日本料理屋・日本居酒屋、そしてまた吉牛と、日本で普通に食べていた食事がとても美味しく感じる。セブにも日本料理屋は多少あるけど、行くことは希である。日本食(というか、美味しい食事)に飢えている隊員がマニラに集まると、自然に足がそっちに向かってしまうのだ。

今回はフィリピンに来てから健康診断を受けた。
予防接種もした。
健康診断の前日と、予防接種当日はアルコールは控えるようにと言われていたのだが、毎晩毎晩かなりの量を呑んでいた。おかげで健康診断当日は二日酔い....ダメ隊員である。まぁ、特に悪いところはないだろうと変な自信があったのだが、視力だけは年々落ちている気がする。大学入学時は両目2.0という驚異的な視力だったのに、入社時は1.2。それから年中PCと向かい合うようになって数年が経ち、今回は0.7まで落ちていた。目が良いのは自分でも誇れることだったのに、けっこうショック。このまま落ちていく一方なのだろうか。
また、派遣前訓練中にワクチンを打ったA型肝炎とB型肝炎の抗体検査があり、見事に抗体ができていなかった。そうなると、要冷蔵のワクチン2種類を任地に持って帰り、冷蔵庫で保存して、任地の病院で打たなくてはいけないらしい...。こっちで注射なんか頼みたくないなぁ。

ちなみに、同期のコンピュータ隊員がマニラ上京とほぼ同時に腸チフスに感染し、ずっと入院していた。最終日にホテルをチェックアウトする時にちょこっと元気そうな姿が見れたけど、彼のサイトを読む限りでは苦しい闘病生活を送っていたようだ。感染源は、任地のプールで泳いで時に、大量に水を飲んでしまったとか...唖然呆然。ご愁傷様です。
もう、任地に戻っているのかな。


 [写真(左):マニラのド真ん中に“LITTLE TOKYO”]
 [写真(右):数年振りのボーリング場]
2004年11月27日(Sat)  No.126

明日からマニラ
明日から今年2回目の隊員総会。
フィリピン全土に散らばる約80名の隊員がマニラに集結する。

久しく会っていない同期隊員にも会うことができ、初顔合わせの隊員ももちろんいる。総会・報告会以外にも様々なイベントが盛り沢山で、前回は大学のサークルの合宿のような印象を持った。マニラへは自ら行こうとは思わないが、隊員の公式行事でJICAが交通費を支給してくれるなら喜んで行く。

今、総会期間中に2つのやりたいことがある。
1つはマニラにある場所で、前々からどうしても行きたかったのだが、場所が分からず、最近になって場所が特定できたところ。あともう1つは生活に必要かつ欲しいモノを持って返ってくること。総会中は何かと忙しいが、時間を作って2つともやってこよう。

今回は健康診断と予防注射がある。
フィリピンに来て初めての健康診断。これまで大きく体調を崩したことはないが、日本とは違う環境にいると、自分の気付かないところで体に異変が生じる場合があるらしい。悪い結果が出なないといいが…。
2004年11月22日(Mon)  No.125

フィエスタで6食
今日はマクタン島のLapu-Lapu cityのフィエスタ。
友人に誘われ、昨日と同じ5人で行くことになった。

今日はSMで待ち合わせるも、また1時間遅刻して来るし...。

2人のフィリピン人の親戚がLapu-Lapu cityにそれぞれあるため、そこを訪れることになった。フィエスタ中は各家庭でもたくさんの人を招きパーティーを行うらしい。

1軒目。
大通りをそれて、路地を抜けると、30人くらいが集まっている。事前に話をしていなかったのか、突然の日本人とアメリカ人の登場に、一同騒々しくなる。ちょっとしたヒーロー気分で登場!レチョンを始めとした料理が並んでおり、昼食をSMで食べてきたのに沢山ご馳走になる。しばらく、まったりして移動。

2軒目。
ここはいかにもお金持ちといった家。まだ、親戚達が来ていないということで、メイドさんが甘い羊羹みたいなものとお菓子を出してくれて、既に満腹だけど食べた。親戚達が帰ってくると、何とこれから食事会。もう食べられないだろうなと躊躇っていると「Don’t be shy!」なんて言って、仰山よそってくれた。友人は「これがフィリピンスタイル。残しちゃダメだよ。」と言い、仕方なく無理して食べる。けっこう辛かった...。そして、帰り際に余った料理を袋に入れてくれて、家で食べなさいと...もう要らないとも言えず、ありがとうと言って受け取った。

夕飯は抜こうかと思ったけど、頂いたモノがあったので食べることにした。朝から6食。しかも、毎食しっかり食べてる。フィエスタって、楽しいけど、健康には良くないのではないのだろうか。


 [写真(左):フィエスタの様子]
 [写真(右):食事を鱈腹いただく]
2004年11月21日(Sun)  No.124

ご招待され
U.S. Peace Corp.のJustinの家に招待された。
同僚のIvanとその彼女と友人とJustin邸へ。

彼は所謂ボランティアで、身分は自分と同じ。年齢も同じ。職種もIT関連で同じため、よく一緒に行動することが増えてきている。一人や日本人同士で街を歩いていると、視線を感じたり、意味なく話し掛けられたり、からかわれたりすることが多々あるが、Justinといるとやはりアメリカンは白肌で金髪のため、視線は全て彼に注がれる。けっこう大変だろうなぁと思うけど、本人は全くそんなことは気にしてない素振り。

1:30に待ち合わせるも、当然ながらフィリピン人3人は30分遅れ。マックで昼食を済ませて、スーパーでビール・ジュース・スナックを買い、セブシティの中心地から山の方へ向かう。タクシーを降りて、路地に入っていくと、ジャングルのような山の中に階段がある。ここを下るの?山道を歩くこと5分、ようやく到着。一応、街頭は所々にあるが、酔っ払っていたら転げ落ちる程の険しさ。家の中も、電化製品が扇風機とラジオだけという質素さで、ガスどころかキッチンすらない。本当に何もない。一体夜は何をしているんだろうか...。同じボランティアという境遇でも、自分は贅沢し過ぎなのか?なんて考えたりもした。

その何もないところで、酒を呑み始めた(もちろん、女性陣はジュース)。トランプをやることになり、負けたらスナック菓子一気食いなんていう、日本人がよくやる(?!)アルコール一気のような罰ゲームを加え、約4時間も滞在させてもらった。


 [写真(左):裏山の家の密集地]
 [写真(右):トランプとビール]
2004年11月20日(Sat)  No.123

呼び出され
いつも通りに6時頃に仕事を切り上げ、いつも通り家に帰る前にAyala Centerに寄る。アウトドアショップや本屋でぶらぶらし、何も買わずに家に向かった。とりあえず食材は冷蔵庫に色々あるので、何を作ろうかと考えていたところ、同僚からtextが来た。

 「これからAyala Centerに来ないか?」

今、そのAyalaから帰ってきたばかりなのに...。
徒歩10分だけど、また歩くの面倒くさいとか思いつつも、まだ料理の準備もしてなかったので、すぐにAyalaに向かうことにした。US Peace Corp.のJustinも来ており、全部で4人。夕飯だというのに自然にファーストフードに向かい、その後2時間ほどAyala内でビールを呑んだ。そういえば、いつも呑むサンミゲールビールとは違ったビールだったな。名前は忘れたけど。
最近、付き合い良くなったなぁ、アコ。

明日はオフィスに日本人が来るらしい。
どこの誰かは分からないが、「Japanese government から来る」ということだけは聞けた。最近、10時とか11時にオフィスに行くことが多いので、9時に行くのはちょっとした気合いが必要。
2004年11月18日(Thu)  No.122

原因は線路盗難?
先週、ルソン島で列車脱線事故が起きた。
現地のニュースを見ていると、驚くべき事実が...。

関連記事(一部抜粋)↓
12日未明、フィリピン・ルソン島南部のケソン州パードレブルゴス町付近で、フィリピン国鉄の列車(8両編成)が脱線、4両が約12メートル下の川に転落した。この事故で少なくとも乗客12人の死亡が確認され、約160人が負傷した。
現地メディアは、付近で販売目的にレールを盗む事件が相次いでいたことから、今回の事故現場でも線路の一部がなくなっていた可能性があると報じた。

フィリピンにも夜行列車があったことを初めて知った。

そんなことはおいといて、
12人の死者と160人の負傷者を出した列車脱線事故、どうも事故原因は速度超過ではなく、レールの盗難らしい。いくらリサイクルが生活に浸透しているとは言え、使っている線路を勝手に外して売買するとは…閉口せざるを得ない。
誰がどう見ても明らかな人災。それについて、捜査が全く捗っていないとのこと。

レガシピ発マニラ行きの列車だったらしく、真っ先に頭に浮かんだことが、“まさか隊員が含まれていないだろうか”、“日本人は乗っていたのか”という身勝手な発想。結局、日本人の被害者はいなかったみたいだが、この時、既に解散したイエモンの「JAM」(歌詞はココ)という曲を思い出した。日本人にさえ被害がなければ、他の人が不幸でもいいのかという、皮肉が込められたメッセージである。

もちろん、協力隊に参加する前の自分だったら、日本人の安否にしか興味がなく、事故に遭った人々に対してどんな感情も持ち合わせていなかったであろう。でも、海外で暮らしてそれなり月日が経つと、今までなかった感情が生まれてくることに気付いた。それは、フィリピンで起きた事件だけでなく、世界中で起きている事件にである。これは自身が変わった証なのだろうか。


あ、ふと、スターリン・プレジネフ・ゴルバチョフの有名なジョーク「三人の書記長の違い」も思い出したりもした。
2004年11月17日(Wed)  No.121

のんびりゆったり
3連休を使って、Moalboalへ小旅行。
考えてみたら、フィリピンに来て、初めての泊りがけのソロ旅行。

特に何かをするといった目的もなく、ゆっくりして来ようと出発。
セブ・シティを出たのが遅く、Moalboalに到着したのが6時だった。既に真っ暗で、どこに泊まろうかと、もうかなり見慣れた街をぶらぶら歩く。(もうハイシーズンに突入したという人もいるが)それなりに観光客も多い。結局、一度泊まったことがあるプール付きで海の目の前に位置するリゾートのエコノミー室(エアコンなしのファンのみ・水シャワー)を1泊450ペソで泊まることにした。

初日は、夕飯を食べた後、酒場に繰り出し本を読みながら呑む。そして、早くに就寝。

二日目は、昼前に起きて、海に浮かびながら魚たちと1時間ほど戯れる。スノーケリング後は、プールで泳ぎ、プール脇でビールを呑んだり、本を読みながら日光浴。静かなゆったりとした時間が流れる。結局、300ページ以上もある江國香織氏の文庫本
流しのしたの骨」を二日間で一気に読破してしまった。快挙!

三日目、朝から曇りで肌寒い。それでも、せっかくだからと水着に着替えてプールへ。日光が出てこない中、だらだらと過ごす。チェックアウトを終えて、昼食を食べに行こうとすると、見覚えのある姿が...。偶然にも同期隊員2名に遭遇。ペスカドール島で潜っていた連れの人たち(ドマゲッティの隊員、日本人留学生、Koreanボランティア)を待って、一緒に昼食を食べた。前日から来ていたらしいが会わなかった。会わなくてよかったとも思う。今回は一人でのんびりするために来たんだから、一人で過ごしたかった。そりゃ、会えば会ったで一緒に話したり飲んだりして楽しいだろうけど...。

そんなわけで、のんびりゆったりとした旅を満喫してきました。

 [写真(左):Moalboalの海]
 [写真(右):ペスカドール島を奥に日光浴]
2004年11月14日(Sun)  No.120

どこへ行こうか
月曜日がイスラム教のラマダン明けの祝日のため、今日から3連休。

せっかくだから、ちょっと泊まりでどこかに小旅行に行ってみるか。
海を見ながら、ビーチでビールでも呑んで、のんしりして来ようかな。
2004年11月13日(Sat)  No.119

講義中のハプニング
先週 11月5日は、Elementary schoolの先生を対象に研修を行ったが、今回はNational High Schoolの先生達を対象に研修を開いた。

Lapu-lapu cityにある6つの高校から合計10人の教師が配属先に集まり、前回と同じ内容で講習を進めた。最初の2時間の講義を受け持っていたため、準備していたパワポの資料でプレゼンを行う。相手が教師ということで、教える側の立場を分かっており、やりやすい。どうやって、この研修を受ける教師を各高校から選出したのか分からないが、担当科目はバラバラ。一部数学の教師もいたが、あとはITには関係なさそうな教科ばかり。一番面白かったのが、基本的なコンピュータ関連用語のacronymを書いて、その意味を説明すると、予想以上の反応が返ってくる。例えば、「DNS」は「Domain Name System」の略ですよ、なんて感じで。こんなんで感心してくれるならと、FTP/POP/SMTP/HTTP/HTML/CSS/XML/URL/ADSL/TCP/IP等々、調子こいて予定外の用語まで説明していた。

講義が終わって、PCを使ったhands onに移ろうとした時、パプニングが...。

突然の停電。
まぁ、別に珍しいことでもないんだけど、よりによってこのタイミングで起きるとは...。これからhands onをやろうとした時にPCが使えなくなり、エアコンも切れ、研修どころではなくなった。何たって、研修を行っているラボは窓はあるんだけど、開くことの出来ない窓。サウナのような蒸し暑さで、中にいるだけで汗が浮き出てくる。
30分経過・・・いつになったら復旧するんだろう。
まぁ、研修をする側も受ける側も停電には慣れっこで、どうしようもないことは分かっているので、皆何もなかったかのようにお喋りをしている。同僚に、いつになったら復旧するんだろうと聞いてみたら、
「ラボもPCもNo Windows!」
ギャグ言ってる場合か?

ようやく1時間後に復旧しました。


夜は、呑み会。
アメリカ人のボランティア(U.S. Peace Corp.)とフィリピン人の同僚、その同僚の友人達で呑みに行くことになった。呑み会と言っても6人中3人がフィリピーナで、彼女たちは人前(男性がいる前)では決して呑まないから、食事会かな。その後は、カラオケへ連行。嫌だと言っても、歌わされ、そして踊らされる。酒呑んでないのに、あのテンションは何なんでしょう。酒が入っていてもついていけない。
それにしても、フィリピンに来る前は4年間くらいで1度しかカラオケに行ったことなかったのに、フィリピンに来てから4回ほど行っている。それでも、わざわざ人の聞きたくない歌を聞かされて金を払うくらいなら、酒代に回した方がいいという考え方は変わらないな。


 [写真(左):停電復旧工事]
 [写真(右):日1・米1・比4でのカラオケ風景]
2004年11月12日(Fri)  No.118

今日は何の日?
今週は暇だなぁ。
(まぁ、いつも忙しくないんだけど)

あと今日はぞろ目の日。

だから、何だってことはないんだけど、今朝読んだメルマガの中に面白いことが書いてあったので、要約して紹介しようと思う。内容は、“11月11日は何の日でしょうか?”というモノ。今日、11月11日は多くの記念日になっているらしい。
あっそ…。

●「1111」の形から、
 ・配線器具の日(コンセントの形)
 ・くつしたの日(2足並べた形)
 ・下駄の日(下駄の足跡)
 ・ピーナッツの日
 ・ペアーズディ
 ・恋人達の日
●棒状のものを4本並べて、
 ・もやしの日
 ・煙突の日
 ・きりたんぽの日
 ・ポッキー&プリッツの日」
●「十一十一」の形から、
 ・電池の日(プラス・マイナス)
 ・磁気の日
 ・鮭の日(圭を十一十一とみる)
●その他には、
 ・サッカーの日(11人対11人)
 ・おりがみの日(1が4つで正方形)」

すごい。
よくもまぁ、これらの記念日を考える人がいるもんだ。
「恋人達の日」と「もやしの日」が同じとは…。

メルマガの最後に、“日本中で楽しい記念日を祝う、いい(11)日ですね”なんて言葉で締めくくってあった。ここまできたら、駄洒落の域だ。
2004年11月11日(Thu)  No.117

chibi  2004/12/03/21:59:42   No.130
11月11日はレオ様の誕生日の日だよ。これは外せないです。

TK  2004/12/09/00:53:26   No.135
へぇ、ブタプリオの誕生なんだ。
勉強になりました。

日本人ダイバー死亡事故
昼間に同僚からニュースを聞いた。
セブ州マクタン島の沖で日本人ダイバーが死亡する事件があったと…。現地新聞にも一面に大きく載っており、テレビのニュースでも報じられている模様。

現地新聞(Sunstar)の記事に、「2 Japanese sea divers disappear」とあり、以下の内容が書かれている。
TWO Japanese men disappeared while diving in the Hilutungan Channel off Lapu-Lapu City Monday night.
One of them was found floating dead in the seawaters off the neighboring town of Cordova yesterday morning, while the other remains missing. As of yesterday, frogmen from the Naval Forces Central (Navforcen) were still looking for the other diver.

ダイビング・インストラクター2名がナイトダイブを行った際に行方不明になり、一人が翌朝遺体で発見、一人は未だに見つかっていないとのこと。沿岸警備隊を動員して捜索しているそうだが、浮上してこないところを見ると、水深100m以上と言われるドロップオフに沈んでいると予想されているよう。


事故のことを知れば知るほど、怖くなってくる。
任地のすぐ近くで、マクタン沖のヒルトゥガン島付近と言うと、自分がダイビングのライセンスを取るときに海洋実習を受けた場所。そこで、日本人が、そして玄人であるインストラクターが2名も何らかのトラブルに巻き込まれ死亡したという。おそらくダイビングをやっていないと他人事のように流していただろうが、今はそうは感じない。

こういうニュースを身近で聞くと、軽い気持ちでダイビングをしちゃいけないんだって身に染みて分かる。特にフィリピンのダイビングショップは、日本のようにキチっとしていないショップが一部あるようだ(良い表現をすると自由、悪い表現をすると適当)。自分が持っているOpen Waterのライセンスでは、一応規則で水深18mまでとなっているのだが、9月のダイビングではガイドに誘導されるまま42m近くまで潜ってしまったこともある。

やっぱり、マリンスポーツをやるには自己責任が必要。
油断すると命にかかるスポーツなんだと実感した。
2004年11月10日(Wed)  No.116

SMへ捜し物
今日は特に予定がなかったので、昼前に起きてソーメンをすする。
午後になって行動開始。

捜し物をしにSMに向かった。
昨日はAyalaを見て回ったが、これといった気に入ったモノがなく、規模が大きいSMならあるかもしれないと期待の思いをもって向かった。SMはジプニーで1ライドで行けるが、近くにAyalaがあるため、頻繁には行かない。Ayalaは何の目的もなくほぼ毎日行っているが、SMは何か目的がないと行くことはない。行く回数も少ない上に、モール内が巨大なため、行きたい店に辿り着くのに一苦労である。土日はイベント行われることが多く、今日も例に違わず何かミニコンサートが開催されていた。

途中でコーヒーを飲んだり、本を読んだりと結局4時間くらい滞在していたかな。お目当てのモノも見つけたので、今度買いに来ることを決意!

それにしても、今日は暑かった(いつものことなんだけどね)。
本当に季節感がない。
日本はそろそろ紅葉も終わり?


 [写真:SMのモール内で行われていたイベント]
2004年11月7日(Sun)  No.115

長期研修キャンセル
今日はElementary schoolの先生を対象に研修を行った。
Lapu-lapu cityにある6つの小学校から先生達が配属先に集まり、"Basic Internet"や"Web Development"等の講義を午後いっぱいを掛けて行った。1時間のプレゼンテーションを行い、その後はサポート役にまわったが、数をこなしているためか、大分慣れてきたような気がする。

そうそう、楽しみにしていた研修が突然キャンセルになってしまった。
9月のSiquijor出張の時に訪問した高校で1週間〜10日間の研修を開催する計画になっており、それに向けて少しではあるが教材を準備していた。さらに、あの最高にキレイな海に囲まれたSiquijor島に長期滞在できるということで楽しみにしていたのに...。

研修が中止になった理由を聞いたところ、同僚の答えは「No budget」・・・。研修自体には特に経費はかからないし、宿は研修先である高校側が何とかしてくれる(食事も先方が出してくれると予想される)。問題はセブからシキホールまでの交通費。同僚3人分のフェリー代が工面できないとのこと(ちなみに、自分は自腹のつもりだった)。片道約700ペソ、往復1400ペソ。確かに、配属先が出さないのに、これだけの額を自腹切って仕事をしに行くフィリピン人はいないだろう。

でもさ、こんなことくらい予想付かなかったのかな。
少し考えれば分かりそうなものなのに、簡単に研修を引き受けるべきじゃないでしょ。先方の高校だって期待していただろうし、自分も楽しみにしていたのに、こんな直前に中止になるとは、理由が理由だけに非常に残念。
2004年11月5日(Fri)  No.114

心機一転
連休明け。
油断していたせいか、寝坊して遅刻。
まぁ、出勤時間が決まっているわけではないので、全然問題ないのだけど...。

今日から大学では後期セメスターが始まった。
受け入れているOJTの学生達も今日から新しくなる。今バッチは7名。前のバッチは直接指導したわけではなく、単発的な講義だけをしていたために、それほど親しくはならなかったが、今バッチは約4ヶ月という期間を受け持つことになる。年末年始を除いて大学に行く代わりに、OJTとして配属先に通うため、一緒に過ごす時間が否が応でも多くなる。

お互い自己紹介をし、配属先が行っている事業内容と、今後の計画について説明した。まだ詳しくは分からないが、賢そうな学生だなぁという印象を受けた。

今回、初めてセブシティ以外の大学がからOJTを3名受け入れることになっている。パナイ島はイロイロシティにある大学から、4ヶ月間地元を離れて研修にやって来ている。どこの大学だろうが自分は全く関係ないのだが、パナイ島はセブアノ語圏ではないのだ...イロンゴ語というセブアノ語とは似ても似つかない言葉を話す。よって、イロイロから来た学生とセブの学生も会話が成り立たない。学生達の会話が全て英語になると思うから、こっちにとっては好都合なのだが、どうなることやら。
2004年11月3日(Wed)  No.113

All Saints Day
All Saints Day(万聖節)で祝日。

今日のセブシティは、まるでゴーストタウンのように閑散としていた。ほとんどの店が閉まっており、人もまばら。いつもは交通量が激しく黒煙だらけの道も、今日ばかりは歩行者天国状態。ショッピングモールでは、他の場所と比べてひと気が多かったが、それでもいつもよりは客は少なく、営業時間が短縮されていた。

おかげで、行こうとしていたマッサージやレストランも軒並み閉店で途方に暮れた。ある程度覚悟していたけど、ここまでとは驚いた。こんなに静かなセブは初めて。何も知らずに来た観光客はつまらない思いをしただろう。

フィリピン人はと言うと、田舎に帰って、先祖の墓参りをして…と、ここまでは日本の御盆と同じ。違うのは、お墓で食事や酒を持ち寄ってパーティをするらしい。墓場で呑む酒は旨いのだろうか?フィリピンは火葬を行わないため、墓場にそのまま人が眠っているのにねぇ。
2004年11月1日(Mon)  No.112

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