出る杭こそ理想
2006/07/24
先日の連載を受けて、かなりの数のコメントをいただいた。
それは、3回に分けて書いた独り言のような下記のエントリ。 ●携帯のない生活1 ●携帯のない生活2 ●携帯のない生活3 ブログに直接コメントをしてもらったのもあれば、個人的にメッセージを送ってくれたのもある。賛同(賛成意見)と批判(反対意見)、五分五分だろうか。いや、若干賛同の方が多かっただろうか。中には、面識もなく、名前も名乗らない人から「長くねちねち携帯を持たないことを論じているが、結局携帯を持てないないだけなんだろ。携帯を持っていないことを正当化するな。」というコメントもあった。 こういう意味が分からないコメントについては、申し訳ないが無視をさせていただく(もちろん、ブログのコメント欄に書いてくれる荒らしではない書き込みであれば、返信するつもりだが)。論点が噛み合わないので、こちらが反論をしても、水掛け論というか、火に油を注ぐことになり兼ねない。 別に、携帯電話を持つことが良いとか悪いとか言っているわけではない。 携帯電話を持つことに否定的でも、拒絶もしていない。現に自分だって2年前までは所有していたわけだし、今だって買おうと思えばいつでも買える。ただ、あまりに依存し過ぎる人たちに疑問を感じ、携帯電話がなくても生活していけるということを言いたかっただけなのだ。 「ココ」にも書いたが、日本では人と違うことをしたり、人と違うことを発言すると叩かれる。“出る杭は打たれる”なんてのは、日本固有の諺であり、“出ない平均的なこと”を美徳される。 あまり出過ぎるのも問題あると思うが、いいじゃない、少しくらい出たって。 世間一般の平均的な、人と同じことをしたんじゃ、面白くも何ともない。 いーじゃん、携帯電話を持たなくなって。 ここで「誰にも迷惑を掛けていないんだから」と言おうと思った。が、携帯電話を持っていないと、相手にとっては、連絡を取りたい時に取れないのは、それはそれで迷惑らしい。そんなことを指摘された。そんなこと言われたって...。 いーじゃん、ちょっとくらい出たって。 ちなみに、職場(会社)では、自分が青年海外協力隊員としてフィリピンで2年間活動していたということで、かなり出ちゃってます。普通の一般のサラリーマンから見たら、我々のような隊員経験者は、完全に変わり者でしょう。珍しがられます。 まとまりがなくなってきたので、この辺で。 『 出る杭こそ理想 』 |