2008/05/25
そろそろ週末も落ち着き始め、時間が取れたので大阪(近畿地方)近郊に小旅行に出てみることにした。たった1泊2日だが、車で行けるところまで行ってみる計画だった。

どこまで行けるかも分からないので、テントと寝袋を積んではみたが、この週末は生憎の天気...(降水確率がなんと90%)。まぁ、どうにかなるだろうと、ある程度の行き先だけを頭に入れて出発したみた。


大阪で車の運転をするのは初めてである。
 (バイクで大阪を通過したことは2回ほどあるが...)
大阪での運転は危険と多くの人から言われていたが、実際に運転してみると、交通マナーは東京よりは若干よくないとは感じる程度。それほど衝撃的な危険さではなかったと思う。

朝9時前に家を出て、まずは北上する。
すると、30分もしないうちに雨がぽつりぽつりと降って来た。

すぐ山間部に入り、北に向かいながら大阪府→京都府→兵庫県→京都府と県境を越えていく。高速道路に乗るほど急いでも無いので、ひたすら一般道で山を越え、走ること4時間で舞鶴に出た。日本海側に出たことになる。

舞鶴からは北近畿タンゴ鉄道宮津線というローカル鉄道沿いに走っていくと、この小旅行の目的地の一つである天橋立に到着した。

「天橋立」は、宮城の松島、厳島(宮島)と並んで日本三景と呼ばれる名勝地で、ずっと来たかった場所だったのだ。逆さに見ると、長さ3.2kmにおよぶ砂洲が天に架かる橋のように見えることからこの地の名が付けられたと言われる。


特別名勝天橋立の石碑

到着が14時をまわっており、さらに天気が悪かったので、観光客は少なかったように思う。団体のおじさんおばさんばかりだった。海鮮丼で腹を満たし、砂洲(砂嘴)を45分くらい掛けて歩いてみた。
対岸にはケーブルカーがあり、そこを昇ると上から天橋立を眺めることができる。


天気が悪い中、天橋立を見下ろす

ケーブルカーで展望台まで昇る

さすがに、帰りは歩きたくなかったので、バスの時間を見計らって対岸まで戻った(遊覧船もあるのだがバスの方が安かった)。雨が降り止むようすもなく、既に16時を過ぎていた。

今日のキャンプはさすがに諦め、どこか大きな街に出て、ホテルを探そうと決断。
ひとまず、日本海沿いを地図で辿ってくと、鳥取市までホテルが建ち並ぶ市街地がなさそうだ。ここ天橋立から相当距離があるが、車だし、別に遅くなっても何とかなるだろうと鳥取県の県庁所在地を目指す。

山の中、海沿いのアップダウンを繰り返していると、日没間際にオレンジ色の目立つ巨大な鉄橋が見えて、そこを道がくぐる形となっている。何となく気になったので、車を降りて見学してみることにした。

すると、余部鉄橋(餘部鉄橋)といい、今から約100年ほど前の1912年に開通したトレッスル橋としては日本最大の橋とのこと(東洋一とも書いてあった)。鉄道マニアの間では有名な橋らしく、小さな観光地ともなっているようだ。しかし、橋の老朽化から、再来年にコンクリート橋に架け替えてしまうらしい。

 ○「余部鉄橋(あまるべてっきょう)のご案内
 ○「特集 さようならありがとう 余部鉄橋


日本一と言われる余部鉄橋(兵庫県城崎郡香住町)

雨かつ真っ暗な中、山道を走り続け、20時頃にようやく鳥取駅に到着した。駅に行けば何とかなるだろうと思っていたが、予想外にホテルの数が少ない。3つほどホテルに行ってみたが、満室とのこと。3つ目のホテルで紹介された所に電話で問い合わせて、ようやく今夜泊まる場所が決まった。

車を停め、チェックインし、荷物を置いてから、夕飯を食べに外に出てみる。
21時過ぎ、鳥取駅前のアーケードは8割の店が既に閉まっており、店を見つけるのにも苦労した。何とか、小さな居酒屋を見つけることができ、そこでビールとラッキョと食事をとった。


久々の長時間運転で相当疲れた。
明日のために、早く寝ることにする。
明日こそは天気が復活してくれるだろうか。

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| トラベル | 2008/05/25 11:59 PM | comments (0) | trackback (0) |
2008/05/23
宮本むなし

定食屋の名前。
最初、梅田で見掛けた時は、何とふざけた名前の店なんだろう思った。大阪だからギャグのノリで付けてしまったのだろうなと思っていた。

しかし、この「宮本むなし」、大阪の至る所にあるのだ。大阪の人に聞いたら、ほぼ100%知っている大手チェーン店なのだ。関東にも数店が存在するらしいが、関西が圧倒的な店舗数を誇る。
東京で言えば、「大戸屋」といったところだろうか。
東京でよくお世話になっていた大戸屋を大阪でも探したのだが、検索してみたら、大阪府にたった1店しかないことが判明(ココ)。がっかりしたものだ。ちなみに、東京都には80店もある。


ということで、「宮本むなし」に行ってみた。
名前こそふざけているものの、中に入ると普通の定食屋である。
「大戸屋」にも雰囲気とかメニューが似ている気がする。ただ、「大戸屋」は女性グループやカップルが多いのだが、「宮本むさし」は一人客や男同士が多いように感じた(もちろん、行った店の場所にもよるのだが)。


宮本むなし

「宮本むなし」、これからお世話になりそうだ。

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| 大阪生活 | 2008/05/23 11:59 PM | comments (0) | trackback (0) |
2008/05/20
思い立った大阪散策に続き、大阪観光へ。

今回は、大阪に来て一度は行っておきたかった『大阪城』。
実は、これまで遠目からも見たことすらなく、生涯初の大阪城。

大阪城天守閣の中には入ろうと思うほど惹きつけられなかったが、広大な大阪城公園をのんびり散策し、大阪城の雰囲気は大いに味わえた。一度訪れれば充足する感じで、次に訪問するのは東京から知り合いが来た時だろうか...。

自分の中では、こんな構図が成り立っている。
   塔物 : 東京タワー ≒ 通天閣
   建造物 :  皇居  ≒ 大阪城


東京の人間が東京タワーや皇居に行かないように、大阪に住んでいても通天閣や大阪城にはまず行かないのだろう。東京でも大阪でも、むしろ観光客や外国人の方が詳しかったりするのだから、不思議だ。


初めて見た大阪城天守閣

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| 大阪生活 | 2008/05/20 11:59 PM | comments (0) | trackback (0) |
2008/05/17
フィリピン赴任中に友人になったセブ人と、大阪で会った。
帰国してからメールで何度かやり取りはしていたが、約2年振りの再会である。

当時は日系企業にて現地でエンジニアとして働いており、念願叶って1年半ほど前から大阪に来ていることは知っていた。今は特にIT分野の橋渡しをする派遣会社に籍を置いており、そこから日本の企業に派遣されるようだ。

この日は他に2人のフィリピン人を連れてきてくれ、セブ出身者2名・マニラ出身者1名とともに大阪駅の駅ビルで食事をした。


3人とも日本の有名企業でプログラマとして働いている。
一人はスーツを着こなし、何となく違和感を感じてしまった。
大卒で、日系企業に勤めた経験があり、日本語が日常会話以上でき、プログラムもできるという3人とも優秀な人たち。派遣会社にマージンを取られても、フィリピンの公務員だと年収に近い額を一ヶ月でもらっているようだ。もちろん、日本人の月収と比較したら差はあるが、何事もフィリピン感覚で考えてしまう癖が抜けていない...。


日本語/英語/セブアノ語/タガログ語は飛び交う、周りからかなり注目されてしまうほどの賑やかで不思議な集団となったが、とても懐かしい気分だった。セブアノ語なんて今や30%くらいしか聞き取れないし、タガログ語に関しては一切理解できないのだ、3人が話す懐かしい現地語の語感が頭に響いて、心地よさを感じていた。

3人が口を揃えていうことは、
 ・日本人は冷たい
 ・ある程度の金を稼いだらフィリピンに帰りたい
 ・日本人の速さについていくのは疲れる
 ・大阪の真夏の暑い日にスーツを着る文化はクレイジーだ

ということだった。

その気持ちは分かる気がする。
ずっとフィリピンで生活して彼らからしたら、日本に来てのカルチャーショックは計り知れないことだろう。でも、そんな中でも、日本で大阪で仕事を頑張っている姿はすごいと思う。


また近いうちに会おうと約束した。
東京に居た時は皆無だったフィリピン人との交流が、大阪であるなんて面白い。

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| 大阪生活 | 2008/05/17 11:59 PM | comments (0) | trackback (0) |
2008/05/16
財政難の中、続けられるODA(政府開発援助)
興味のある人、ない人、いろいろいるかもしれない。
しかし、実際、発展途上国に対して年間7,000億円(ピーク時の10年前は年間1兆円以上だった)の予算が組まれている。もちろん、これを日本の国民が負担しているのに、知らん顔をしてられるだろうか。一定額の援助は必要だと思うが、財政難なのにここまで続ける必要があるのか考えさせられる。

これまで、あまりマスコミが批判することはあまりなかった。
それをフリーマガジンとして知られる「R25.jp」が切り込みを入れた。影響が出るか分からないが、正直驚いた。

 ○ 『でも、財政赤字なのにどうしてODAするの?
政府や政府機関によって支出される国際的な援助が、政府開発援助、いわゆるODA。1991年、日本は金額で世界首位になった。だが2007年は、5位にまで転落。財政再建中の日本、それもいたしかたあるまい、と思う人も多いかもしれないが、実はそんな簡単に済む話ではなさそうなのだ。日本は世界に逆行しているのである。

ODAというと、先進国による開発途上国への一方的な支援のようなイメージがあるが、必ずしもそうではない。日本からの援助は、やがて日本の利益にもつながるからだ。例えば、空港や港湾などが整備されれば、その国への貿易をしやすくなるし、感謝されれば市場の開拓にも取り組みやすくなる。実はもともと冷戦時代に共産主義勢力に対抗するために生まれたともいわれているのがODA。多分に、相手国への“戦略的な”援助の意味合いがあるのだ。

さらにいえば、今世界的な問題となっているテロリズム問題や環境問題にもつながる。貧困をなくすことは、先進国を脅かすテロリズム根絶の有効な手段と考えられているのだ。また、発展途上国を豊かにすることは、先進国にとって課題でもある環境保全も相手国に意識させられる。

もちろん直接的な利益だけでなく、貧困や飢餓の撲滅、乳幼児死亡率の削減や感染症防止などは、地球人として取り組むべき当然のテーマ。そこでアメリカはじめ先進国は、ODAの増額に動いてきた。ところが、日本だけがODA予算を年々縮小。97年のピーク時から、なんと10年間で38%も減少させてしまったのである。もちろん“戦略的な”支援も含めて。

00年まではアフリカの7カ国で最大の援助国だった日本。だが、04年は0カ国。世界的な価格高騰が進む金属資源を豊富に持つアフリカ。世界が支援の目を向けているのはいうまでもない。たしかに財政再建のために予算削減も重要。だが、ODAがその削減の真っ先に来るべきものなのかどうか。よく考えてみる必要がある。


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| ニュース | 2008/05/16 11:59 PM | comments (0) | trackback (0) |
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