帰国時プログラム
2006/04/13
フィリピンから日本に帰国してから、4日が経過。
帰国当日の夜に、いきなり寒さのため体調を壊してしまった…。 そして、帰国後翌日から「帰国時プログラム」が3日間(人によっては2日間)が実施される。 初日は広尾青年海外協力隊訓練所にて、オリエンテーション。 久しぶりに切符を買い、自動改札を通り、電車の乗り、乗り換えをする。こんな2年前当たり前にできていたことがすんなりできない。切符を購入するのにも、あたふたしてしまう。 会場には、月曜日ということもあり、金・土・日に帰国した隊員約60名が集まっていた。派遣前訓練で同じ生活班だったケニアのG隊員、ラオスのY隊員と2年ぶりに再会する。本当に懐かしい。他のアフリカへ赴任した隊員達はもう少ししてから帰国とのことなので、来週同窓会でもやろうと話した。 オリエンテーションは、各種手続きの説明や講話が怒涛のように続く。 帰国翌日に、何もこんなハードスケジュールにしなくてもいいのではないかと誰もが思うのだが(それでも日本ではこんなの普通な方だろう)、敢えてこうしているのだと思う。「ここは日本。君達のいた途上国ではない日本という国なんだよ。」というのを口ではなく、実践で示してくれているのだろう。おそらくフィリピンであったら3日間に分けてやるのではないかと思うスケジュールだった。 昼は自由時間。 外食でもしようかと外を歩いていたら、そこが広尾だからなのか、「ランチ1,200円」とか「ランチセット2,000円」とか書いてある。おいおい、昼ご飯で600ペソとか1,000ペソなんてフィリピンじゃ一週間食べていけるよ・・・と敬遠し、結局コンビニへ。それでも、缶コーヒーやおにぎりをすぐペソ換算してしまい、なかなか高いモノに手が出ない。店員は、笑顔で丁寧で親切で素晴らしく、ついついチップをあげたくなってしまう。 二日目は新宿にて帰国報告会と健康診断。 どちらもすんなり終わり、15時には暇になっていた。 新宿西口と東口をそれぞれ歩いてみたが、それほどの変化は感じられなかった。夜の約束まで時間が合ったので、ビッグカメラ・マルイ・紀伊国屋書店などをぶらぶら歩く。久々の懐かしの街を歩くと、本当に帰国したんだなぁと実感する。 夜は四谷に場所を移し、友人達と呑み会。 「笑笑」の生ビールやたこわさびがこんなに旨く感じるとは幸せ者だ。 気付いた時には終電の時間はとっくに過ぎていた...。 なかなか刺激的な生活を送ってます。 これぞ、「逆カルチャーショック」と言われるものなのだろう。 |
任期終了・日本帰国
2006/04/09
青年海外協力隊員としての任期終了日。
そして、満2年振りに日本へ帰国しました。 朝から慌しく、荷造りに追われる。 周りの人にせかされるも、気にせずゆっくり荷造りしていたら、お迎えのバンが行ってしまった。仕方ないから一人でタクシーで空港に向かった。でも、この一人のためにドミトリーに残っていた隊員達が荷物を持って、タクシーを乗るところまで送ってくれた。本当にありがたかった。 空港でしばらく時間をつぶし、9:10のJAL便でフィリピンを発つ。 飛行機ではほとんど寝ていたかな。 日本時間で14時頃に“成田上陸にいます”とのアナウンスが。窓側に座っていたため、2年振りに見る日本の地を食い入るように見つめた。銚子の犬吠崎が見え、鹿島・霞ヶ浦・筑波山がよく見える。この瞬間まで実感がなかったのだが、ここで初めて「本当に日本に戻ってきたんだなぁ」と思った。 長袖を持参していなかったため、半袖とビーチサンダルという季節外れのスタイルで日本の地に降り立った。空港内では暖房が効いているのか、それほど寒さは感じなかった。でも、一歩外へ出ると、想像以上の寒さに驚いた。最も暑い時期のフィリピンからでは、日本の春が極寒に感じる。でも、その空気の冷たさが新鮮で、ちょっと嬉しかった。 空港へは家族が迎えに来ていたので、車で実家に戻る。 この頃から、何とも言えない違和感が...。 見慣れた空港から実家までの道や景色を見ていると、「確かに久しぶりだけれど、2年も経ったという気はしないなぁ」と思ってきた。 そして、実家がある町に入り、久々の実家に到着すると、そこには2年前と全く変わらないモノがあった。何一つと言ったら過言かもしれないが、本当にそのくらい何も変っていない。実家の外も中も、近所の景色も2年前のままである。夕食は家族揃って食べたのだが、そんな光景も2年前と変っていない。この2年間、自分の周りでは時間が止まっていたのではないかという錯覚である。 すると、「あれ?自分は2年も日本に居なかったのだろうか」という思いがする。「あれ?自分は本当にフィリピンで2年も生活していただろうか」と思い、挙句の果てには「これからフィリピンへ旅立つのではないか」と思ってしまう。タイムスリップした感じがするのである。 でも、よーく考えてみると、フィリピンで活動・生活していたことが思い浮かぶ。 目を閉じてみると(閉じてみなくてもいいが)、これまでの数々の思い出・出会い・出来事・感動・苦しさが蘇る。 こういう不思議で奇妙な気持ちになるのは初めてだ。 突然、夢から覚めてしまったような心境がなのである。 無事に日本に帰国しました! ことを、このブログにて報告します。 これから日本社会への復帰に励みます。 でも、この寒さにやられたのか帰国当日の夜から体調を壊しました...。 |
フィリピン最後の日
2006/04/08
フィリピンで過ごす最後の日。
今日は若干残ったお金を持って買い物に出掛けた。 DVD、VCD、OPM(Original Philippino Music)のCDを買い漁る。 残ったペソをドルか日本円に換金しようと思っていたのだが、幾つか両替場所に尋ねてみたら逆のケースは取り扱いしてもらえなかった。なので、残ったペソを使ってしまおうと、日本で着るための長袖シャツも買っておいた。 夕方から荷造りを開始。 夜は同期隊員が食事を作ってくれたので、ビールやジンと共に美味しい食事をいただいた。その後、餃子を食べに外出し、最後はカラオケに繰り出した。隊員ドミトリーに戻ったのは深夜2時過ぎ…。 携帯電話が使えるうちに同僚とセブにいる友人全員に、挨拶のテキストを送った。 最後となるメッセージということで、ほとんどの人が返信をくれた。嬉しい限りである。いつか必ず、バリック・バーヤン(里帰り)することを約束した。 日本への帰国まで、あと1日。 明日、早起きしてマニラから成田空港に飛び立つ。 具体的に言うと、あと6時間以内にフィリピンを発つ。 というか、睡眠時間が3時間くらいになりそうなのだが、大丈夫だろうか。 明日の今頃は、もう実家ですき焼きを食べているはずである。 明日、日本を地へ降り立っているということが、とてもとても信じられない。 2年間の青年海外協力隊としての任期が明日で終了する。 さようなら、フィリピン! |
帰国直前のイベント
2006/04/07
昨日のJICAでの帰国報告会に続き、PNVSCA(フィリピンボランティア調整局)での帰国報告会。
赴任時以来、約2年振りに会場へ向かった。 (一応)公式の場なので、半袖Yシャツを着用したのだが、暑過ぎる。 暑い上に、慣れない服を着るだけで疲労感倍増(こんなんで日本でスーツ着れるのだろうか)。 約80分、英語によるインタビューを受けた。 活動や生活、フィリピンで感じたこと、日本との違い、協力隊に参加した動機のこと、帰国後のこと、それはそれは多岐に渡る質問だった。次にこんなに英語を話す機会はいつなんだろう、と思いながらインタビューに答えていた。 夜は隊員ドミトリーでデシピ(送別会)。 事前準備はほとんど手伝わなかった...。 帰国隊員である同期は14名のうち約10人が参加。 マニラ近郊の隊員やお世話になった調整員・JICA職員が参加してくれた。 一つずつ一つずつ、帰国までのイベントが終わっていく。 日本への帰国まで、あと2日。 |
帰国報告会
2006/04/06
JICA事務所にて帰国報告会。
帰国隊員が4,5人ずつに分けられ、調整員の前で行われる。 事前に提出した報告書と資料を元に、報告と言うよりはインタビューに近かった。 ランチの時間に行われ、豪華日本食弁当(幕の内弁当)が用意されていた。 昨日けっこう呑み二日酔い気味だったので、すべては食べられなかったが…。 「活動内容について」・「任地での生活について」を中心に報告を行った。 こうやって2年間を振り返り、自信の活動内容について述べていると、たったこれだけしかやらなかったんだと思ってしまう。もちろん報告会の時間は限られているので、なるべく簡潔に述べなければいけないのだが、それにしても成果が少ないなぁと感じてしまった。 この帰国報告会、数人単位にグループ分けするのではなく、できることなら同期全員の活動内容を聞きたかった。他の隊員の活動内容について興味がある人は多いはずである。 明日はもう一回、別の場所で帰国報告を実施しないといけない。 でも、JICAへの報告が終わり、これで帰国前の大きなイベントは終了したことになる。 日本への帰国まで、あと3日。 |