大晦日
2004/12/31
大晦日。
2004年もあと5時間(日本だと4時間)ほどで終わりです。 当初の予定なら友達の地元へ行って、そこで新年を迎える予定だったのだが、さすがフィリピン人である。昨日いきなり連絡があり、キャンセルになってしまった。ということで、特に何も予定がなく、モールに買い物に行ったり、家で過ごしている。日本の風習にならって、大掃除とまではいかないまでも、普段あまりしない部屋の掃除をしてみた。 何というか、今日が大晦日で、明日が元旦という気が全くしない。 それは、暑いからなのか、実家にいないからなのか、年越しそばが食べられないからなのか、紅白やレコ大が見られないからなのか分からない。けれど、クリスマスへ向けて全てのエネルギーを使い切ってしまったようなフィリピンでは、新年なんて大したイベントではないのだろう。一応、外では爆竹や花火の音がしているけど…。 何人かの隊員はマニラのドミトリーに集まって餅つきをしたそうだ。 このまま何もせずに越年しちゃうのは、あまりにも味気ない…。 他の隊員は、いま任地で何をして過ごしているのだろうか…。 「年越しそば」を食べたいと思っても、そばはない。そこで「年越しラーメン」ならどうだろうと思い付いた。幸い、セブには日本人が経営しているラーメン屋が1軒ある。そこならテレビがあり、ケーブルを引いてあるのでNHKが見られるはず!大晦日の夜に営業しているか分からないけど、紅白が始まる頃にちょっと行ってみようと思う。ダメ元だ! ----- さて、今年1年間を振り返ってみよう。 2004年は自身にとって激動の年だった。 これまで、「高校から大学」や「大学から社会人」と人生における転機は幾度があったが、「二本松訓練所での訓練を終えフィリピンに移住して生活・活動を始める」となった今年ほど大きな転機となった年はない。 よくありがちではあるが、今年のニュースを挙げてみよう。 題して、『TKニュース2004・ベスト5』 1:フィリピンに移住 ちなみに、フィリピン共和国の十大ニュースはこちら。 当サイトを訪問してくださった方々、ありがとうございました。 来年もよろしくお願いします。 |
インド洋津波
2004/12/30
休暇を利用して、27日から30日まで旅行に出ていた。
カモテス諸島という、セブ島とレイテ島の間に位置する島。 海がとてもキレイで、リゾートホテルも幾つかあるんだけど、交通の便があまり良くなく、かつメジャースポットではない(「地球の歩き方」には一切表記されていない)島。年末のこの時期なのに、滞在4日間で出会った観光客は1組だけというローカル感溢れる島を堪能してきた。詳しくは、「Travel」に旅行記をアップします。いつか…。 この旅行に行く前日に起きたスマトラ地震。 そして、インド洋を襲った大津波。 27日の朝に、唯一の情報源であるインターネットで確認してが、それほど詳しいことは分からなかった。まだ1日と経っていなかったため情報が錯綜しており、ソースによって被害者数の大きな違いが見られた。ただ、フィリピンには被害がないということだけは分かった。津波に関してはマレー半島が完全にブロックする位置になるため、フィリピンまで津波が及ばないようでした。 カモテス諸島への旅行二日目、テレビでニュースを見ていたホテルのスタッフとこの件に関する話をした。 TK 「詳しくは分からないんだけど、どこが最も深刻な被害なの?」 ス 「スリランカとインドネシアみたい」 TK 「そうか。フィ・・・(と言い掛けようとしたところ)」 ス 「日本は被害ないの?ってか、日本ってどこにあるんだっけ?」 TK 「日本はもっと北にあるから大丈夫だよ。<BR>あんた、フィリピンの心配をしなよ」 こんな会話をしていたが、まだ状況は把握できていなかった…。 そして、旅行三日目。 ホテルを移動し、テレビ付きの部屋に泊まることにした。もちろんBSなんて高価なモノはあるわけなく、映るのは現地番組ばかり。夕飯まで暇だったので、現地ニュースを見たところ、あまりもの被害の多さに唖然とした。画面を見ると、「56,000 patay」と書いてある…。ごっ、5万人?一瞬目を疑ったが、その後目を覆いたくなるような映像が次々と放送された。フィリピンでは新聞やテレビで死亡者を平気で載せる。撮影したありのままの映像で、モザイク等で隠すことすらしない。今回見た映像は・・・通り一面に敷き詰められた遺体、白いビーチの上で男性か女性かそして年齢も分からないくらいぐちゃぐちゃになった遺体、腐敗してこれが人なのかと思うような遺体の数々…こんな映像が一般の家庭に流れているのだ。見る見ないは見る側の選択だとしても、子供までもがこれらの映像を見られてしまうのは、あまり良いことではないと思う。 そして、今日の夕方前に旅行から帰宅。 まずメールを確認すると、何人かから安否確認の連絡が来ていた。心配してくださった方々、ありがとう!フィリピンは被害が全くありませんでした。 そして、一番の心配事であった情報が飛び込んできた。 28日の時点、協力隊員7名(タイで4人、モルディブ2人、スリランカ1人)の安否が確認できていないとのこと。でも、ニュースを時間を追って読み進めると、「国際協力機構(JICA)は29日未明までに、インドネシア・スマトラ島沖地震の後、タイなどで連絡が途絶えていた青年海外協力隊員ら関係者全員の無事を確認した。」という情報が載っていた。詳しくは、こちら。 JICA関係者は全員無事だったようだ。 しかし、多数の邦人、現地人が亡くなっているので素直に喜べない。 今後、マラリア・デング熱などの感染症の二次災害が懸念されている。同じ途上国、そして近隣の東南アジア国にいる身としては、全く他人事には思えないので、一刻も早く復旧してもらいたいと強く望む。 ちなみに直接の知り合いではないが、スリランカに派遣している隊員のサイトに、「スマトラ沖地震 被災地救護活動」の様子が掲載されている。現地の隊員達がボランティアで集まり、救護活動を行っているようだ。今、こちらからは何もすることはできないが、遠くから応援したい。 スマトラ地震・津波で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。 |
日本からのX’masギフト
2004/12/26
日本の友人から郵便物が届いた。
12/2に日本の郵便局で手続きされたものであり、3週間以上も経ってようやくセブに到着したようだ。まぁ、でも、日本から出された郵便物はフィリピン内で消滅することが少なくないため(フィリピンから出した郵便物は問題ないらしい)、1ヶ月以内に届いたならヨシとしよう。 クリスマスの翌日に届いたのは単なる偶然なのか…。 中の素晴らしいプレゼントに「キタ〜!」と、絶叫! 封筒の中には1枚の絵葉書と、2枚のDVDが入っている。 そこには、「Dr.コトー スペシャル」と書かれているではないか。 昨年放送された連続ドラマ『Dr.コトー診療所』、本当に好きなドラマだった。孤島・志木那島の診療所を舞台に、都会から来た医者と島民の交流を通して、離島医療の現場や人々の優しさを描く物語。おそらく、その頃、友人夫妻にこのドラマのことを力説していたのであろう。 そして、先月にスペシャル「Dr.コトー診療所2004」が2夜連続で放送されたことも知っていたが、当然任期中は見られないだろうと諦めていた。まさか、去年のことを覚えていてくれており、生ドラマをDVDに録画してくれて、フィリピンまで送ってくれるとは・・・。全く予想だにしない事で、とても感動した。本当にありがとう! 本来なら2夜に分けて見るべきなんだろうけど、 合計3時間半のドラマを一気に見てしまった・・・。 涙なしには見られないドラマ。 少し重いテーマに感じたが、それを補って余りある温かみを含んだストーリーだった。そして、目を見張るのが主演のの演技力である。彼の演技の節々に見せる優しい口調や表情が何とも言えない。決して2枚目俳優ではないが(こんなこと言ったら失礼だ)、自分が最も好きな俳優だ。内田有紀を嫁にするだけのことはある(何のこっちゃ)。 吉岡秀隆は、これで3度目の“当たり役”を得たことになる。「北の国から」の純くん、「男はつらいよ」の満男くん、そして「Dr.コトー診療所」のコトー先生。 2002年の北海道ツーリングを前に、1981年〜1982年に放送された「北の国から」の連続ドラマ24話+単発ドラマ7話を2ヶ月かけて見た。連続ドラマ時代の10歳の純くん(螢ちゃんは9歳)は、シリーズ最後の「2002遺言」では30歳になっていた。自分の中で、そして世間でもそうだろうが、“吉岡秀隆=黒板純”・“黒板純=吉岡秀隆”となっていたはずだ。もし、他のドラマや映画に出演しても、「純くん」というイメージが残っているんだろうなぁなんて思っていた。でも、そんな心配は杞憂に過ぎなかった。彼が「純くん」だったことを忘れるくらい、彼は「コトー先生」を演じていた。 「北の国から」の南バージョンとも言われる、心温まるドラマ「Dr.コトー診療所」。 今回のスペシャルが「Dr.コトー診療所2004」と題されるところを見ると、「北の国から」や「白線流し」と同じく定期的に続編が放送されるであろう。これからも、このドラマに期待したい。 |
空爆のようなイブの夜
2004/12/24
クリスマス・イブ。
そして、クリスマスを家族と共に過ごしてもらおうという大統領の粋な計らいで今日から4連休。職場の同僚も、友人たちも実家のある町や他の島へ帰って行った。 自分がクリスマスを家族と過ごしたのって、いつが最後だったかなぁなんて思ったりもした。高校生の時?かな。フィリピンでは、1年で最も大切とされるクリスマスを必ず家族と過ごす。こういう周りの幸せそうな顔を見ていると、あ〜実家で父さん・母さんと杯を交わしたいなぁなんて思ってしまう。そういうわけで、今日は誰も相手をしてくれる人もなく、朝からずっと一人。 夕方に食材を買いにAyalaに行くと、これまで見たこともないような混雑。さすがイブ。レジも長蛇の列ができており、会計を待つのに、結局1時間近くも並んだ。こんなんだったら、早い時間のうちに済ましておくべきだった…。 夜。 特に今日は一日中、爆音が響き渡っていたけど、22時頃急にその量が増した。爆竹に花火・・・まるで空爆の中にいるよう。遠くの方で花火が光り、キレイだなぁなんて思っていると、近くで爆発音がして舞った煙が空を覆う。あまりもの激しさにアパートが揺れている感じもする。クリスマス当日になる0時向かい、どんどん盛り上がっていった。 今夜は外出しないでよかった。 外出したら、爆撃される。 そう言えば、救急車の音が何回も聞こえたなぁ。 今夜は、RichieSamboraの「HARD TIMES COME EASY」を聞いて過ごす。 |
爆竹テロリズム
2004/12/23
クリスマス、年末年始を迎えたフィリピン。
この時期になくてはならないモノは、「爆竹」・「花火」 だ。華僑の影響とも言われる。毎日毎日昼夜を問わず爆音は聞こえ、大音響に包まれる。深夜にまで何かが爆発したか?と思うような音に目覚めることも多々。 爆竹と言っても、日本にあるようなモノではなく、かなり大きなモノ。しかも、それをガキどもが面白がって路上に投げ飛ばす。人や車をわざとめがけて投げるという光景にも出くわした。だから、最近は爆竹を持っている子供の近くを歩くときは、細心の注意を払うようにして、通り過ぎた後でも、後ろを振り向かないといけない。 この爆竹、殺傷能力があることを付け加えておきたい。 大きさにもよると思うが、十分人を殺せる“爆弾”・“ダイナマイト”みたいなモノなのである。そんなモノを子供から大人までが街中に投げ込むフィリピンの街は…無差別テロの戦場と化してしまうようだ。 同僚からも特にクリスマスイブの夜と、元旦の夜は外出するなときつく言われた。毎年、クリスマス当日や元旦当日の新聞には「爆竹・花火で、○○人死亡・ ○○○人が指を切断・○○○軒が火事」という活字が載るそうだ。 毎年何人も亡くなっているのにも関わらず、辞めることはないそうだ。今年は何人がこのテロ儀式によって亡くなってしまうのだろうか。 爆竹でお祝いするのはいいが、巻き込まないでね。 |