2006/03/04
一体、前回ダイビングしたのはいつだろうか...。
と、考えてしまうほど、ダイビングをしていない。

去年の2月にアポ島で潜ってから、ずっとダイビングから離れていた。特別な理由はない。また、いつかやればいいや、と思っているうちに1年が経ってしまった(アイランド・ホッピングにはかなり行っているが)。


もう帰国までの週末は、数回しかないなぁ。
日本に帰ったらそれこそダイビングは高くてしないだろうなぁ。
と、考えていたのが2日前。そして、土曜日に予定がなかったため、ダイビングをしにMoalboal(モアルボアル)に行こうと決めたのが前日の金曜日だった。ダイビングショップ「OCEAN GLOBE」に連絡を取ったところ、翌日でも受け付けてくれるとのことで、久々に潜ってみることにした

朝9時にショップに行かなければならないので、5時に起きて、5時半に家を出た。そして、8時半過ぎにモアルボアルのパナグサマ・ビーチに到着。モアルボアルに来るのは4回目だが、前回から間が空いており実に1年4ヶ月ぶり。そして、これが最後になるであろう。


ショップの前の海


Panagsama Beach (パナグサマ・ビーチ)

お世話になるOCEAN GLOBEの2階にあるレストランで朝食を済まし、1本目のダイビングへ。他にライセンスを取るために講習を受けている日本人客がいるが、潜る客は自分一人。

1年以上のブランクがあると、水の中での恐怖感が増す。
最初は水深3〜5mのところで数分。耳抜きも問題なくできた。さらに5m潜ったところで、マスクに水が少し入ってきたので、水を抜こうとしたところ失敗してしまった...。もちろんボンベで呼吸をしている以上は大丈夫なのだが、視界がなくなってしまうとちょっとしたパニックになる。そのまま急浮上してしまおうかと思ったほどだ。でも、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせ、何とかマスクの中の水を抜くことができた。始めの10分は、このことが頭から離れず、海の中にいても魚を見るどころではなかった。

途中からは余裕が出てきて、名前はぜんぜん分からないが様々な魚たちと戯れることができた。やっぱりダイビングはアイランド・ホッピングとはスケールが違うなぁ、と思ったりもした。

午後は、近所のM隊員と合流してペスカドール島へ。


Pescador Island (ペスカドール島)

潮の流れが速く、流されないように必死だった。
インストラクターが様々な魚を見つけて、その場で名前をボードに書いてくれるのだが、これがどうしても覚えられない。魚の名前を覚え出すと、ダイビングの面白味が倍増すると聞いたことがあるのだが、自分にはまだまだのようだ。


2本のダイビングを終えて、ショップでまったり。

本当は日帰りの予定だったのだが、1泊しようかなぁと気が変わり、急遽明日帰ることにした。 モアルボアルでは隊員行き付け(?!)のSunshine Penshionhouseに宿泊することにした。エアコンなし・水シャワーの一番安い部屋でP500。前回はP450だったので交渉してみたがダメだった。値上げしたらしい。


夕食後、眠かったので早い時間に寝てしまった。
そして、気付かぬ間に年を1つ取ってしまったようだ。


モアルボアルの海 1


モアルボアルの海 2

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| トラベル | 2006/03/04 11:59 PM | comments (7) | trackback (1) |
2006/03/03
比全土に発令された非常事態宣言が本日解除された。
比、非常事態宣言を解除 宣言から1週間ぶり
 フィリピンのアロヨ大統領は3日午前11時半、テレビ演説で非常事態宣言の解除を発表した。大統領は2月24日に軍の一部のクーデター計画が発覚したとして宣言に踏み切ったが、1週間で正常化に向かうことになった。
 大統領は解除の理由について「治安当局の分析によれば、宣言した時にあった深刻な脅威はこの1週間で封じ込めることができた」と説明。「今後も監視は続ける」と強調し、反政府の動きを締め付ける姿勢を示した。
1週間ぶりに非常事態宣言が解除
しかし、マニラではなく地方都市にいるため、国内がそんなに緊迫した状況にあるという実感はあまりなかった。マニラでも数日間は学校が休校になったらしいが、人々の暮らしは普段通りだったらしい。フィリピンの、マニラの、さらにそこの一部だけが緊迫していたように思う。


一体、今回の非常事態宣言は何だったのだろう。

メディアを利用した単なる茶番だったのか。
アロヨ大統領はこの宣言によって、まだフィリピンの実権が自分にあることを強調し、政府が強行的手段を講じやすいようにしただけではないのか。実際に、非常事態を宣言すると、警察や軍は令状なしの逮捕や拘束・捜索を行うことができる。

フィリピン国民の政治に対する不信感に変わりはない。
2010年までが任期であるアロヨ大統領、きちんと任期を全うすることができるのだろうか。
 

結局、今回の一件で、政府が緊急に対応しなければいけない「レイテ島の地滑り」の捜索と復旧は二の次になっている。それより、もう過去の事件のように取り扱われている気もする。アロヨ大統領が現地を視察した際に、“全員を見つけるまで捜索活動は続ける”と宣言したらしいが、口だけで実行していないじゃん。

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| ニュース | 2006/03/03 11:59 PM | comments (2) | trackback (0) |
2006/03/02
最初に連絡を受けたのは2月の中旬だった。

協力隊への応募を検討しているUさん。実際の隊員が活動する現場を見たい、現役の隊員にインタビューをして様々なことを聞いてみたい、とのメールをもらった。

日本から近い協力隊派遣国、かつ英語圏の国、その隊員の中でホームページを公開しており連絡が取り易い隊員。ということで、自分と同期のM隊員に白羽の矢が立ったようだ。


そのために休暇を取り、フィリピンにやってくるという。
断る理由はなく、もちろん承諾した。でも、自分の活動の様子やインタビューの内容が、彼の協力隊に応募するか否かの判断材料の一つになるかもしれないことを考えると、ちょっとしたプレッシャーを感じた。

Uさんは、先にセブ島南のアルカンタラという小さな町に赴任してるM隊員を訪問した。町役場を見学し、M隊員のホームステイ先に宿泊したらしい。それだけのバイタリティがあれば、隊員としてやっていけると思う。


そして、インタビュー当日。
Ayala Centerで待ち合わせて、昼食後に配属先に向かった。
配属先を案内し、同僚達を紹介し、事前に準備していたと思われる数多の質問を受ける。協力隊として活動することは、世間一般が抱いている綺麗事やイメージ通りそのものではない。配属先の問題、JICAへの不満や愚痴など、正の面・負の面を含め全てを正直に語った。

Uさんは、日本ではSEとして働いており、協力隊への応募職種も「コンピュータ技術」や「PCインストラクター」が候補に入っていると言う。協力隊に参加すること・帰国後のことについて大きな不安を持っており、3年前の自分の姿とだぶった。自分も応募するまではUさんのように迷っており、しばらく誰にも相談できずに一人で悩んでいた。

どの隊員だって応募前に不安がなかった人はいないと思う。
"協力隊員になりたい"と思う気持ちは、大切にしてもらいたいと思う。


どれだけUさんのインタビューに貢献できたかは分からないが、今伝えるべきことは全て話した。少しでも役に立てばいいが...。それにしても、現役隊員達にインタビューをするためだけに、単身でフィリピンに乗り込むとは驚きである。

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| 隊員活動 | 2006/03/02 11:59 PM | comments (0) | trackback (0) |
2006/03/01
3月。
フィリピンに赴任して23ヶ月目。

今日、PNVSCA(フィリピンボランティア調整局)への英語による最終報告書を提出した。配属先にも受け入れボランティア(つまり自分)に関する評価を含む最終報告書の執筆をお願いしていたのだが、予想通り期限内には間に合わなかった。完成次第、送付しよう。

後は、JICAに提出する最終隊員報告書の作成のみ。
第1号報告書こそ期限内に提出したが、第2,3,4号はことごとく期限を過ぎた提出だった。第4号に至っては3ヶ月も遅れてしまった(というか、期限内に提出する気は毛頭なかった)。今回の最終報告書の遅れは許されない(はず)。あと3週間もあるからと油断していると痛い目に遭うので、早め早めに作成してしまおう。


また、今日、大家に最後の家賃を支払った。
今住んでいるアパートの契約は、3月31日の午前11時まで。この時間までに部屋を空っぽにしておかないといけない。冷蔵庫は引き取り先が決まったが、他の電化製品やベッド・バンブーチェアー等はまだ決まっていない。でも、まだ同僚や友人にあまり言っていないだけなので、その気になれば、すぐに決まるだろう(と、信じたい)。

あとは溜まりに溜まった2年分の荷物を段ボールに詰めて、少しずつ日本に送らないといけない。本、CD/DVD、服、JICA関係の書類、日用品などなど。この面倒くさい引越し作業を考えると...現実逃避したくなる。


今月はもう活動(仕事)を行う予定はない。
旅行に行き、ダイビングをし、パーティーをし、TOEICを受けて、サンミゲールビールを呑んで、この1ヶ月はフィリピンを満喫したいと思う。時間がある今この間に、遊んでおかないと

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| セブ生活 | 2006/03/01 11:59 PM | comments (4) | trackback (0) |
2006/02/28
2月最終日。
今月も、ブログの毎日更新はできなかったなぁ。

相変わらず比全土の非常事態宣言は解除されない。
 

日本の友人からのメールや知り合いのブログで最近良く目にするのがトリノ・オリンピックの話題。いつ開会されたのかと思っていたら、もう閉会したようだ。

それにしてもインターネットでオリンピック関連のサイトを見てみたが、フィギュアスケートのネタが多い。日本唯一のメダルを取った種目もフィギュアスケートだそうだ。そんなに、ブームになっているのだろうか。日本にいた2年前、「フィギュアスケート」なんて流行りもしていなかった。自分が知っているのは、伊藤みどりくらい。えっ?古い?


フィリピンのオリンピックの関心度は低い。
と言うより、関心度は限りなくゼロに近い。

そして、報道すらされない。放映権(著作権)の問題もあるのだろう。
フィリピンにも「Philippine Olympic Committee」というオリンピック協会があるのだが、今回の冬季オリンピックのことについては全く触れられていない。間違いなく、冬季オリンピックにフィリピン人は誰も出場していない。南国だから冬のスポーツなんかできるわけないし。

冬季だから国民の関心がないわけでは必しもない。
2年前(2004年)のアテネ・オリンピックの時は、既にフィリピンに赴任していた。でも、メディアでの報道はほとんどなく、誰もオリンピックのことを話題にするフィリピン人はいなかった。というか、開催しているのを知っている人も自分の周りでごく僅かだった。確か、フィリピンからのアテネ・オリンピックへの出場種目はボクシング・水泳・アーチェリーだけだったと思う。

この温度差。
やはり自国の選手が活躍する期待がなければ、関心が持てないのも当然だろう。

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| つれづれ | 2006/02/28 11:59 PM | comments (8) | trackback (x) |
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