2006年を振り返る
2006/12/31
色々なことが起きた2006年。
特にフィリピンから2年振りに帰国し、日本の生活に慣れながら職場に復帰したということが一番の出来事だろう。 今年書いたエントリをなぞりながら、2006年を勝手に振り返ってみようと思う。 まずは、2006年は予想外な年越しで始まり旅先の小さな宿でいつの間にか2005年から2006年になっており、何となく年始を迎えてしまった。 1月14日には「日比友好年記念事業」で2000人以上の観客を前によさこいソーランを踊った。3ヶ月も前から準備を練習を重ね、成功させたこのイベントは強烈に印象に残っている。その後、何度か出張よさこいソーランを披露し、フィリピン協力隊員の伝統となりつつあるようで、その活動は現在も続いているらしく嬉しい限りだ。 1月24には、自分がJICAに推薦した同僚が青少年招聘制度で日本へ行った。目で見える実績がなかなか残せない活動が多い中、これは配属先への恩返しとしてよかったと思っている。 2月は自身の本来の活動以外のことに力を入れていた。 まずは、歯科治療ボランティア(一日目・二日目)に参加し、その直後にはバンタヤン島にLANを構築しようというプロジェクトに参戦し、バンタヤン島で1週間を過ごした(一日目・二日目・三日目・四日目・五日目・六日目・七日目)。 3月は帰国1ヶ月前。 パラワンへ旅行に行き、世界遺産を観光したり、最後のフィリピン国内の一人旅を満喫し(一日目・二日目・三日目・四日目・五日目・六日目・七日目・八日目)想い出を作った。 また、その前後に帰国前パーティーとして配属先プレデシピ(プレ送別会)、ビサヤ隊員デシピ(隊員の送別会)、配属先での送別会が次々に行われ、帰国準備も絡んで激動に日々だった。 4月は帰国直前直後となり、これまた激動の月だった。 4月3日に任地のセブを去りマニラ入り、諸々の帰国前にやることをこなしているうちにフィリピン最終日をむかえてしまい9日に2年振りに日本に帰国した。直後の帰国後研修を受けてからは、数日間日本での逆カルチャーショックを楽しみ、実家で過ごしながら、数々の手続きや引越し先を探した。真夏のフィリピンから春の日本の気候は体に堪えた。 そうこうしているうちに休職期間の終了が来てしまい、27日に復職した。2年5ヶ月ぶりに日本社会に復帰したことが遠い遠い昔のことのように感じる。 5月以降は、仕事に慣れることが中心の生活となった。 スーツやネクタイ着用に違和感を感じたり、仕事の進め方や残業の存在というものを客観的にしか見られなく、もやもや感を抱えていたように思う。でも、発足したばかりの新しいプロジェクトに配属してもらい、徐々に徐々に違和感も薄まっていった。 しばらく携帯電話のない生活を送り、夏は神宮野球観戦や甲子園の高校野球観戦を楽しんだ。中でも、37年ぶりに夏の甲子園引き分け再試合となった駒大苫小牧vs早稲田実業の試合を生で観戦した日は印象に強く残っている(甲子園決勝観戦1・甲子園決勝観戦2)。 9月はベトナムとカンボジアへ旅行に出掛け、ハロン湾・アンコールワット・アンコールトム・メコンデルタといった数々の名所や観光地を訪問した。終盤で風邪をひいてしまったが、同じ東南アジアでありながらフィリピンとの差異を肌で感じたり、英語を話す機会にもなったりと楽しい有意義な旅行だった。 10月末からプロジェクトが佳境に入り、激務になってきた。ブログの更新頻度が低くなり、仕事での責任も重くなり、忘年会という日本の文化に久々に触れ、デジタル一眼レフカメラを購入していたら、そのまま年末をむかえてしまった感じだ。 このように振り返ると、当然だが4月までフィリピンに赴任していた時期と、それ以降の帰国後の時期では大きな変化があった。もう帰国して8ヶ月半が経過するわけだが、それが長くも短くも感じる。これほど劇的に生活のスタイルが変わる一年もそうないと思う。そういう意味では自身の一生涯の中で忘れない年になるであろう。 さようなら、2006年。 |
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