給料の渡し方
2006/01/25
今日は給料日。
と言っても、もちろん自分ではなく配属先の同僚達の給料日。 フィリピンでは企業や省庁にも依るだろうが、月に2度の給料日がある。うちの配属先では、給料日は毎月10日・25日と決まっていて、月の給料を半々にして渡す。 何故、フィリピンでは給料は月に2回も支払うのだろう。 一度に渡すと計画性がない人が多いから、使い切ってしまうからだろうか。 それとも、経理上の理由があるのだろうか。 赴任してかなりの年月が経つが、初めて給料を渡す瞬間に立ち会った。 もしかしたら、これまで自分が居ない時間を狙って渡していたのかもしれない。給料の渡し方は、配属先のGeneral Managerが現金が入った茶封筒を一人一人に手渡す。しかも、給料が高いスタッフの順に渡すため、給料がいくらなのか皆にばれてしまう...。 皆、その手渡された現金を見て、ニコニコしている。 そう言えば、こういった風景は今の日本にはほとんどないだろうな。 今やどこの企業でも、学生のバイトだって、給料は銀行or郵貯振込が主流だろう。 自動的に給料が口座に振り込まれるため、あまり感動とか嬉しさはない。いつだったか、昔、父がボーナスを封筒に入れて家に持って帰ってきたことがあった。現金で渡されたと言っていたような記憶がある。その時の一万円札の分厚い束は、かなり印象に残っている。 協力隊に参加する前にいた会社(今も籍はある)では、2002年の終わり頃から「給与明細」が紙から電子データになった。 それまでは、部長から給与明細を手渡しされ、ボーナスの時は一言言葉を掛けられた。しかし、電子データとなると、各社員にパスワード付のPDFファイルが添付されたメールが送られてくるだけである。送られてきたファイルを開いて金額を確認し、ファイルを閉じて終わり。2度目に開くことはあまりなかった。電子データの給与明細を印刷して家に持ち帰る社員は少なく、何かだとっても味気なかったなぁ。 給与明細が持ち帰れないから、“妻を誤魔化せる!”とか言っていた社員もいたが。 そういうスタイルに慣れていた自分が、給料が現金で配られるを現場を見て、ちょっと羨ましくなりました。 |
同僚が日本に行く
2006/01/24
JICAが実施している青少年招聘事業(THE JAPAN-ASEAN YOUTH FRIENDSHIP PROGRAMME)に配属先の同僚であるRoseが参加する。
「情報通信技術」分野で推薦したところ、見事選考に合格し、日本行きが決定した。 もう来週にはマニラで4日間の研修を受けて、日本に旅立つ。 日本の滞在は23日間、大阪を中心とした研修プログラムのようだ。 Roseは、ボホール島出身の24歳の女の子。 大学でITを専攻し、成績が優秀なことから奨学生となり、配属先に就職した。働き始めて4年が経ち、能力の高く、信頼も厚い。そして何より明るく、いつも歌いながら仕事をしている(たまに踊っている)。 実は、Roseともう一人の同僚のどちらを推薦するか迷った。 でも、こうやって合格し、着々と日本に行く準備をしているのを見ていると嬉しい。 事前研修のマニラへ行くのでさえ初めてのRose。 日本の寒さがまったく想像できないらしい。 そりゃそうだ。フィリピンのしかもセブとボホールしかしらなければ、「冬」なんてテレビや映画の中だけの話だろう。自分も「日本を冬」がどれだけ寒いのか忘れかけているが、どうも今年は例年以上に寒いらしいので、ジャケット・マフラー・手袋・ブーツが必要だということを伝えておいた。でも、どれもここでは買うことが困難な代物ばかり。マニラにて、受講者全員で防寒具の買い物の時間があるらしい(費用はJICA負担だろう)。 そして、最近は日常の行動についてアドバイスするようになった。 一つ目は「日本人と会ったらお辞儀をすること、決して反対に顔を上げたり、眉だけを動かしてはいけない」こと。フィリピンでは普通の挨拶方法だが、日本人から見たら喧嘩を売られたような気になるかもしれない。 二つ目は「人前でのゲップは絶対に避ける」こと。 これは・・・フィリピン人は男女に関わらず平気でゲップをしてしまう。昼食後なんて、前後左右からゲップのオンパレードでこっちが気持ち悪くなるくらい。Roseも他に違わず、ゲップを連発する。しかも、それを押し殺そうなんて微塵も考えていない。日本では、特に女性が人前でするのは行儀の悪いことと教えておいた。 でも...「なぜ?」と聞かれてしまい、「そういう文化なんだ!」としか答えられなかった。 まだまだ何点も言いたいことはあるのだが、日本にて自身で感じ取ってもらおう。 日本への旅立ちまであと少し。 異文化体験の話を楽しみにしたい。 少しは自分の苦労も分かってくれるだろうか。 |
情けなき日本人
2006/01/23
Sankei Webのニュースより抜粋引用。
大使館駆け込み邦人が続出 比、女性に貢ぎ無一文に何とも情けないニュース。 こういう事実があることは知っていたが、実際に数字を出されるとその数の多さに驚いてしまう。 世界一なんだ...。 もちろん事件に巻き込まれたケースもあるだろうが、大抵は日本からフィリピーナを追っかけてきおっさん達が騙される。言葉も喋れずにフィリピンにやってきて、あれよあれよと言う間に金品を吸い上げられてしまうのだろう。本人は舞い上がっていて、相手が自分の懐を目当てにしていることに気付かないのだろうか。 それにしても、無一文になるまで分からないとは、よっぽどの能天気か相当の馬鹿者なんだろう。せめて数万円残しておけば、日本までは帰れるのに。それができない、40−50歳代半ばって...。 一体、日本大使館を何だと思っているのだろうか。 大使館はこんな日本人達に帰国金を貸す機関ではない。 おっと、熱くなってきてしまった。 これ以上書くのは・・・辞めておこう。 |
次の公演決定
2006/01/22
まだまだ続きます、「よさこいソーラン」ネタ。
既に、“よさこい海外協力隊?” という噂もあるとか。 今日、ボルホーンのI隊員とラプラプのS隊員と出張よさこいについて打ち合わせを行った。踊り子も予想を遥かに上回る10人が集まりそうなので、参加しようという結論に至った。機会があるのならば、踊りを依頼されるのならば、今後も続けていきたいという意見は皆一致のようだ。 次の公演は、「Suroy Suroy Sugbo 2006(日本語ではある隊員が「セブ フラリ旅 2006」と訳した)」内のイベントで行う今週末の日曜日。場所はよさこいリハーサルと同様ボルホーン。日本人を含む多くの外国人観光客が参加するらしい。 セブの観光名所やフィリピンの文化・習慣を伝えるのが目的の「Suroy Suroy Sugbo 2006」で、日本の踊りを披露するのは趣旨違いな気もするが...。 でも、フィリピンでこれだけの日本人ボランティアが活動していることを知ってもらう、また隊員によるフィリピンへの恩返しの意味も込めて踊りを披露することにする。と、けっこう強引だが、こういう話で進んでいるらしい。 まぁ、ここはフィリピン。 あまり深く考えず、頼まれたんだから喜んで引き受けるとしようじゃないか。 さぁ、踊りの復習をしないと! 【関連エントリ】 ●よさこいP 始動 ●日比友好祭 打合せ ●よさこい練習会 ●3回目の練習会 ●マニラ滞在終了 ●よさこい最終練習会 ●日比友好祭ポスター ●よさこいリハーサル ●よさこいソーラン本番 ●出張よさこい |
引越しパーティー
2006/01/20
昼間にテキストが入り、友人の引越しパーティーに招待された。
つい先日まで、フィリピンでは一般的なボーディング・ハウスと呼ばれる共同アパートに住んでいたのだが、どうも同居人といざこざがあったらしく、直後に引っ越してしまった。ボーディング・ハウスは場所にもよるが、月の家賃はP1,000と安い。それが、引っ越した先では3倍もの家賃となったようだ。フィリピン人にとって、この家賃の額は相当高いはずである。でも、ヴィレッジ内で個室が利用できるのだから仕方のないことか。本人曰く、家賃よりも一刻も早く前の家を出たかったらしい。 そこで8時から5人で小さなパーティー。 自分はピザとビールの買い出しを頼まれていたので、Robinsonsに寄ってから向かった。家に着くと、庭にテーブルと椅子が並んでおり、バーベキュー・チキン・ご飯・ビールが既に用意されていた。フィリピン流だからと、スプーンとフォークが目の前にあるのに、何故か手で食べさせられる。 食事を終えたら、場所を部屋に移し、そこで酒を呑む。 気付いたら深夜12時。 帰れなくもないが、タクシーを捕まえるのはヴィレッジの外まで歩かないといけないため、お言葉に甘えて泊めてもらうことにした。 決して広くない部屋に男2人・女3人が雑魚寝。 下に何も敷かずに直接床に寝るのだが、さすが4人は気にせず寝ている。 自分は何だか腰が痛いし、ゴキブリが何度か足に乗ってくるし、停電で扇風機が止まっちゃうしで、なかなか寝付けなかった...。 それなりに長くフィリピンに住んでいて色々なことに順応しているつもりではいたが、やっぱり自分は日本人なんだなと思いながら眠りに就きました。 |